P1000896.jpg

横関大氏の「再会」(講談社)を読んだ。


第五十六回江戸川乱歩賞を受賞した推理小説です。


美容室を経営する岩本万季子のもとにスーパーの店長佐久間秀之から電話が架かってくる。息子の正樹が万引きをしたので、スーパーまで来るように要求される。秀之は小学校のとき同級生だった直人の兄で、素行の悪い人物として地元では有名な人物であり、万季子とも少なからず因縁があった。


万季子がスーパーに行くと、息子正樹の万引きの様子が映った防犯カメラの映像をネタに秀之は金銭を要求した。万季子は正樹の父親で元夫の圭介に相談し、圭介と一緒に秀之と交渉するため臨む。


秀之はさらに要求をエスカレートさせ万季子の身体を要求してくる。秀之の要求が一回、二回で済むものではないと考えた万季子と圭介は高額の金銭で秀之と交渉しようと再度スーパーの事務所向かうが、秀之はすでに拳銃で撃たれて死んでいた。


秀之の死体が発見されるとすぐに万季子と圭介の元には刑事が尋ねてきた。尋ねてきたのは同級生で刑事になっていた淳一と県警捜査一課からきた南良の二人だった。


秀之が殺され何十年振りに再会した万季子、圭介、直人、淳一だったが、彼らは二十三年前に地元で起こった銀行強盗、警察官射殺事件にかかわっていて、タイムカプセルに警察官射殺事件に使われた拳銃を入れて埋めていた。


しかし、その拳銃が秀之殺害に使われた拳銃だった。それぞれが抱えていた心の傷が二十三年という歳月を経て明らかにされていく…というストーリーです。


現在起こったスーパー店長射殺事件と二十三年前に起きた警察官射殺事件で使われたのが警官の制式拳銃ニューナンブだったことから県警捜査一課の南良は、過去の事件に疑問を持ち地道な捜査を進めていき、意外な事実につきあたるというドラマチックな展開になっています。


小学校時代の親友万季子、直人、圭介、淳一たちが大人になり、それぞれが抱えていた心の傷、闇が事件を切っ掛けに氷解していきます。


埋めたタイムカプセルをめぐって、お互いを疑うかたちになっても最後には、お互いの心がタイムカプセルを埋めた幼き日と変わってないことを確認することになります。


なかなか緻密な構成で過去を現在から浮き彫りにする手法がとても面白かったです。


ただ、事件の発端となる万季子の息子正樹が何故に万引きなどしてしまったのか、別れた父親と会うことも少なくなって寂しかったからというのではあまりにも動機に強さがないと思いましたし、銀行強盗の本当の首謀者がなぜ犯罪に手を染めるようになったのか、その辺りの動機、説明も少ないように感じました。


あと、圭介は再婚して妊娠している妻がいるのに元妻の万季子にそのことを言わずに、元妻と関係を持ちそうになるなど、どういう倫理観なんだかと思ってしまいました。どことなく優柔不断で、秀之と一番最初に交渉したときに秀之にそれは恐喝だと圭介が強く言えば、万季子を追い詰めることはなかったのではないでしょうか。


何と言っても、仲間の中で一番強かったのは圭介だったのですから。その強さと再婚した事実を伝えることを延ばし、延ばしにする圭介の女々しい人物像がなかなか一致しませんでした。

そして、個人的には「再会のタイムカプセル」というタイトルの方が「再会」より分かりやすいと思います。「再会」だと純文学系統のタイトルのような気がしちゃいます。
P1000895.jpg

中山七里氏の「さよならドビィッシー」(宝島社)を読んだ。


第八回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞したクラシック音楽を題材にしたミステリー小説です。


香月遥は、ピアニストを目指している中学生でスマトラ地震で両親を亡くした従姉妹のルシアと両親、叔父と祖父と一緒に暮らしていた。祖父は一代で事業を成功させた地元の名士だった。


そんなある日、自宅が火事になり、祖父とルシアが炎に包まれ亡くなり、遥も全身大火傷を負ってしまう。

病院に運ばれた遥は、一命を取り留める。リハビリを経て退院した遥を待っていたのは、祖父の莫大な遺産に関する話で、遥は祖父の遺言状で遺産の半分を相続することになる。


音楽科のある高校に進学した遥は、ピアニストを目指したいと奮起するが、火傷の後遺症でピアノを弾くのもままならない状態だった。そんな遥のピアノ教師を買って出たのは新進気鋭のピアニスト岬洋介だった。

遥は岬洋介の指導を受けることでピアノを弾けるようになって上達していき、ピアノコンクール優勝を目指すまでになる。


しかし、遥は何度も何者かに命を狙われる。そして、身内にまたも不幸が襲いかかってしまうのだが…というストーリーです。


身内を亡くし、自らも火傷を負い懸命にリハビリに励む女子高生が、その境遇に負けずに、ピアノコンクールでドビュッシーの「月の光」と「アラベスク」を弾けるまでになります。


それを支えるのが、リストの超絶技巧練習曲を弾き観客を魅了する天才ピアニストで鋭い推理を展開する岬洋介で、遥は岬のことを魔法使いの手品師と呼ぶようになります。


遥が火傷になり、その手術からリハビリまでの闇に堕ちてしまった世界から、師弟愛まで感じるピアノコンクールへの挑戦など、遥があらゆる逆境に負けずにピアノの鍵盤に向かう姿に読むものは魅了され、感動を覚えると思います。


小説の最後の方で、あれっ!? これってミステリーだったな、と読者はハッとして、最後の最後にやられたと思います。


ドラマチックな青春熱血ストーリーがミステリーだったことに気づかされ、もっと深いヒロイン遥の闇と光を知らされることになります。


ピアノによる音楽の表現やベートーヴェンやショパンなどクラシック音楽に関する蘊蓄なども秀逸で、クラシックに魅了されてしまい、その世界に引き込まれます。


遥の手術を担当した冷徹な新条医師やニートの研三叔父さん、コンクールのライバル下諏訪美鈴など個性的で、目の離せないキャラクターがストーリーに厚みを与えています。


火傷を負って数ヵ月でピアノコンクールにまで出場するのはちょっと無理な感じですが、遥のピアノに対するひたむきさと、負けたらそこで終わり、勝つまで挑戦する、何よりも自分自身に負けたくないという思いが読む者にも勇気を与えてくれます。


「バイバイ、ドビュッシー」から変更したさよならドビュッシーというタイトルもエッジが効いています。

作者は第八回このミスに、この「バイバイ、ドビュッシー」のほかに「災厄の季節」が最終候補作品として入ったのですが、「災厄の季節」が「連続殺人鬼カエル男」であります。作品の世界観がまったく違いますし、どちらも面白いエンターテインメント作品になっています。


作者の引き出しの多さと風呂敷の大きさには驚かされますし、人と人とをつなげていく人間ドラマの展開の仕方がとても上手であります。

P1000894.jpg

真梨幸子氏の「殺人鬼フジコの衝動」「私は、フジコ」(徳間文庫)を読んだ。

少なくとも十五人を惨殺した殺人鬼フジコと呼ばれる女性の一生を描いた記録小説という形をとっています。


森沢藤子は、川崎市S区Fに両親と妹と住んでいたが、両親は、暴力を奮う上にお金にも汚く、また派手な性格で給食費さえまともに出してくれないという悲惨な生活を送っていた。また安息できる筈の小学校でもいじめの対象になっており、段々と性格が歪み、シャンソンの歌詞にある「蝋人形、おがくず人形」が自分自身の姿だというように夢想するようになる。


そんなある日、両親と妹が何者かに惨殺され、藤子だけが生き残る。藤子は、叔母夫婦に引き取られ中学の時に転校するのだが、そのクラスで飼っていたカナリアが殺され、細かく切り刻まれるという事件が起きる。


クラス委員で優等生の小坂恵美は、その事件の犯人が藤子だと詰め寄るのだが…というストーリーです。


フジコは、叔母に引き取られてから、「悪いことは忘れなさい、母親と同じようにだけはなるな」とことあるごとに言われ洗脳され、自分でも母親のようにだけはなるまいとして生きようとしますが、ことごとく挫折し、整形依存にもなり、産んだ子どもを虐待死させ、気がつけばお金のためだけに人を何人も殺める殺人鬼になっていたという壮絶な人生を送ることになります。


しかし、その根底には、一家惨殺の時にフジコ自身が目撃していたピンク色の口紅をした女、叔母が心酔していたカルトのQ教団が影響を与えているようだ、という意外な展開を読むことができます。


フジコは、快楽殺人鬼とか、計画的な殺人鬼ではありません。どこか場当たり的で、低俗だけど人間的な理由で犯行を繰り返してしまいます。ただ、犯行がバレないために死体をミンチ状になるまで切り刻みます。

母親と同じようになりたくないと言っても、母親は酷い人格だったが、殺人を犯してはいませんので、母親と同じような人生でありながら母親とは一緒ではないことが決定的です。それも母親はまだ若いうちに殺されているわけですから。


フジコを殺人鬼にまで変えたものは何なのか、フジコの人生を取り戻せないほどに変えてしまったものは一体何であるのか、なかなか深い内容になっています。

人間の欲望や、支配関係、嫉妬や憎悪だけではないものがフジコの背後に常にあり、後ろから犯行を後押ししているのです。フジコはなにものかの声、影を感じながら操り人形のように犯行をなしているように見えます。


この記録小説を世に送り出そうとしたフジコの娘美也子は、この小説の作者である姉の早季子に「闇は闇のまま、光は光のままに、それを共存させることができるからこそ人間であり、未来があるんじゃないの? 光一色の世界なんて、闇一色の世界より恐ろしいわ」と言い放ちます。光からも、闇からもモンスターは生まれる可能性があり、時に人々はモンスターの誕生とチツジョの世界を求めたがるものなのかもしれません。


「私は、フジコ」は、事件などの再現ドラマで殺人鬼フジコを取り上げたら、なにものかの圧力で再現VTRがお蔵入りしてしまうという話でジワジワしちゃいます。


その教団の拠点となっているバーに来ていた売れない俳優が急に売れたり、バーのママが文豪ゲーテを語りだしたり、フィクションだけど、どこぞの宗教団体をイメージしちゃいます。


社会に仕組まれているさまざまな罠に取り込まれないことが必要かもしれません。