病院の入院患者メンバーがかなり入れ替わっており、夏の頃と様子が様変わりしていることに気付きびっくりした。骨折などは3ヶ月ぐらいの入院みたいで、脳出血などは最長6ヶ月みたいである。退院していく高齢者が多く、8月からいる入院患者は少なく、わたしも古参の方になるであろう。


STでやっているのは、認知機能の検査や発話機能などを確認するものだが、もうどちらかというと、一般的なことをやっている。


クロスワードや簡単な計算問題、左手で文字を書く練習をしている。クロスワードの言葉は、一つ出てこないと時間がかかる。計算問題も加減乗除の簡単なやつだが、聞いて答えるので、無理ゲーだ。公文式の教室に入っている気になる。
もう、現役学生じゃないし、わたしにはキツいス。


文字は、平仮名や片仮名が印刷されているのをなぞっているが、文字が震えていて絶望的になります。第一、書いている紙を手で押さえることも、紙がぐちゃぐちゃになる可能性があり、いまは無理である。


できることなら、小学一年生からリスタートしたい気分である。


何が自分にはでき、何ができないのかを選別する時期にきているかもしれません。

まあ、右側を使う細かい作業は、かなり神経を使うし、疲れるのを感じました。
朝ドラ「エール」でも、リハビリは地道な努力の積み重ね、とはなちゃんが言ってたし、頑張るか。
結構、リハビリでは厳しく指導してくれていた江戸っ子のようにチャキチャキしたリハビリの先生が、今日でここを辞めるという。


リハビリの勉強会(リハビリの先生方と患者さんが症例ごとに勉強するもの)などでもお世話になっていたので、最初は何を言っているか分からなかった。違う仕事をするのではないみたいなので、違う職場に移っても活躍してくれるでしょう。

今日は、東京の住居のことや、装具が合わなくなっても障害者手帳の交付で、安く作れること、わたしだったら、親と一緒に住まないで、親の近くで自立して生活できるように頑張る、など、退院後の生活の話までしてたので、どうしたのだろうと思ったら、最後まで居て見送ることはできないという話だった。


厳しく、ハードなリハビリ内容は忘れることはないでしょう。


どんな状況に置かれても、救うのは自分自身と教えられた気がします。現状から逃げないで、自分を追い込むことを教えられました。強いメンタルを維持し続けるのは容易なことではないですが。


それから、先週型どりした足の装具ができてきました。思っていたより、足に留めるベルトも大きく、ちょっぴりびっくりしました。付けて、歩き具合などをチェックして、さらに微妙な部分を調整。


付けて歩いた感じは、違和感みたいなものは感じませんでした。明日、調整した装具を送ってくれるとのことです。新しい装具で歩きの訓練が始まります。
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アルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫)を読んだ。 第一部は、ママンが死んだ、で始まり、殺人をするまで、第二部は殺人者となった主人公の裁判の様子から構成されている。


昔、20代に読んだときは、主人公の内面性が詰まらないな、と思い読み飛ばした記憶がある。いま読むと、主人公の無感動で移ろいやすい心性や、アルジェの太陽や風景が強烈な印象を残す。


ムルソーは、ママンが死んで養老院に出掛けていく、養老院では母の死を悲しんで集まる老人たちや母の愛人、門番などと出会うが、ムルソーは母の生前の姿に関心がなく、母の死に涙も流さない。


母親の死に涙を流さないムルソーを新しい世代のタイプと、本が出版された当時は思われていた。なんか今ではそう世代格差、新しいタイプとは感じはしない。

涙を流すことが、悲しみの量を表すことでもないだろう。悲しみとはそれぞれであり、涙が流されない悲しみもあるのだと思う。その証拠にムルソーは母のことを考えないわけではなく、母の言葉や姿にとらわれてはいる。


サラマノ老人と、その犬のエピソードなどは、ムルソーの異邦人振りと対人間とのあり方を象徴している。

人間よりは犬の運命の方に感情をより寄せる人間なのだ。


ムルソーは、享楽と日々に耽るように恋人マリイと海水浴に行ったりし、そこでアラビア人とトラブルになり、銃で五発の弾を撃てしまう。


法廷闘争の中で、検察や弁護士たちはムルソーの罪を巡って、激しく議論を重ねるが、丸でそれを他人のことのように眺めるムルソー。陪審員の評決により、死刑を求刑される。


昔読んだときも感じたが、人を一人、喧嘩の末に殺して死刑とは厳しいと感じたのを思い出しました。


あらゆることに関心のない自分と世界に心を開くことで、初めて訪れる心の平安を得るムルソー。


人間とって、全てが異邦人のような存在だ、異邦人のような存在を発見した彼の生き方に、死刑という結末しかないのであろうか?