「あなたの民族は何?」
私が当地で聞かれる質問で、もっとも不快なものです。ですが、レジ打ちのおばさんから、もう少しきちんとした場で知り合った人まで、よく聞かれます。日本にいれば、ほぼ大体日本人(最近は少し違うかもしれませんが)ですし、民族を聞かれることもありません。外国に旅行しても(当地以外で)、「どこから来たの?」とは聞かれますが、「民族」を聞かれることはありません。
聞かれる私からしてみれば、なぜ「出自・国籍」ではなく「民族」を聞かれなくてはならないのか、また、友達でもない通りすがりの人に、なぜ教える義務が私に発生するのか、そもそも民族を聞いて何をしたいのか、だいたい出自が聞きたいなら、なぜ「民族」を聞くのか、答える前に確認したいことが山ほどあります。
当地は「多民族国家」を標榜しており、実際把握されている民族の数はたくさんあります。しかし、「多民族国家」で、公式発表の通り民族間の平等が確保されているのなら、なぜ一般レベルで、目の前にいる個人の民族を確認する必要があるのでしょうか。正直、「多民族」かもしれないけれども、「民族の平等」については疑問です。民族の平等が確保されているなら、なぜ貸家の大家側条件に「ペット不可、子供可、スラブ系の容姿の人に限る」という条文がほぼ100%ついているのでしょうか。
出稼ぎ移民の人に貸すと、当地語が通じない人が入居するとか、一つのアパートを7人くらいでシェアして収拾がつかなくなる、という意味合いがあって、そういう条件をつけるらしいですが、「だからあなたは(日本人だし当地語ができるし)大丈夫よ!」と言われても、アパルトヘイト時の南アフリカで「あなたは名誉白人だから大丈夫よ!」と言われるのと同じような気持ちの悪さを感じます。
しかし当地ドミナントのスラブ民族系の人にこの気持ち悪さを説明しても、95%くらいの確率で理解してもらえません。その95%くらいは、「多民族で、民族間は平等」という建前を口では言っていても、実際には「あの民族は__だから」というバイアスのかかった見方をしています。公正を期すために言いますと、それが当てはまる(うるさい、当地語を使わないなど)移民の方もいます。ただ、移民への現地化教育というのもほぼ存在しませんので、どっちもどっちかなとは思いますが。
それで民族を聞かれた私は、文脈によりますが、必要性がないと感じる場合は、お答えしません。無視できれば無視する、しつこい場合は、答える義務はないと言うか、質問自体が不快であると申し上げます。というのも、民族を聞く質問には、民族によって接する態度を決めるという意図が見え隠れするからです。何度も経験していることですが、日本人だと知ったとたんに、手のひらを返したようにあこがれのまなざしを向けてくるのです。仮に中国人やベトナム人だと答えていたら、そうはならないと思います。ですが私は「私」であって、日本人という属性はその次に来るものです。そういう経験を繰り返しているうちに、民族を聞かれることがほとほと嫌になってきました。
幸いにして、こちらが不快だと申し上げると引き下がる方は、特に最近は少なくありません。不快だと申し上げて、それでもさらに聞いてくる人は、礼儀知らずと判断して、こちらも礼儀を守らず無視します。「そんなことで」と思われるかもしれませんが、民族を知りたがる好奇心は、民族平等の不在にもつながっているように思うからです。そして、民族差別を本能的にやっている人々が、ジェノサイドだの差別だのとお隣を非難攻撃することに、非常に強い違和感を感じます。