5つの王国の管理者
マダニとライム病
娘が東北旅行に行って、マダニに刺された。宿の側のゲレンデ内の遊歩道を歩いていると、チクッと痛みが走った。その後、なんともないので放っておいたら、痛みと痒(かゆ)みが出てきた。見ると、血豆のようなものができている。さわるとポロリと落ちた。この血豆は、マダニが血を吸って、ふくれ上がったものだ。そのうち腫(は)れが広がってきて、インターネットで調べてみると、「どうやらマダニに刺されたらしい!」と分かった。
マダニは、ライム病を媒介(ばいかい)する危険なダニで、病原体(スペロヘータ科ボレリア属の細菌)を保有する野ネズミや鳥を吸血することで、病原体を獲得する。
ライム病は、厚生省の指定難病で、重篤(じゅうとく)な後遺症を残し、死に至ることもある。
翌日、夜、帰京した娘から電話があった。すぐに皮膚科を受診するように言った。しかし、あいにくの日曜で、開いている皮膚科医院がない。救急病院に電話しても、皮膚科の医師がいないので対応できないという。そこで24時間診療を受け付けている総合病院の外科に行くことにした。マダニは、不用意に手で取り除くと、皮膚に食い込んだ口先だけが残って、感染が持続し、深刻化する。ただし、36時間(1日半)以内に、体外に取り除くと、感染の怖れはないという。というわけで、外科で取り除いてもらうことにした。翌日、朝一番で皮膚科に行って、抗生物質をもらい、10日間服用することになった。これで病原体は死滅するが、ライム病の怖れが完全に消えたわけではない。2週間以内に、悪寒、発熱、節々(ふしぶし)の痛みなどの風邪に似た症状があれば、再度、受診するようにと言われた。まぁ、大丈夫だろう。
欧米では、毎年、数万人ものライム病患者が発生し、報告数も年々増加して、社会問題になっている。歌手のアヴリル・ラヴィーンが感染して、ときに死をも覚悟したという、壮絶な2年間の闘病生活を送ったことが知られている。ジャスティン・ビーバーや、ゴルフ場で感染したエグザイルのアツシさんも、その一人だ。日本では、1986年に初めて患者が報告されて以来、国内のみならず、海外で感染した事例も含めて、年間10数例が報告されている。本州中部以北、特に北海道の野山での感染事例が多い。欧米と比較して、日本での感染報告は少ないが、マダニの病原体保有率は欧米並みであることから、潜在的にライム病が蔓延(まんえん)している可能性が高いと推定されている。
マダニに刺されてから数日~数週間で発病する。36時間(1日半)以内に、マダニを体外に除去すると感染の危険性はないといわれるが、不用意に手で引っ張り出そうとすると、ちぎれて口先だけが残り、感染が持続して、深刻化する。刺された箇所にワセリンを塗ると、自分から這(は)い出して来るという。登山用品、キャンプ用品、ペット用品として、安全にマダニを除去する器具(リムーバー)が売り出されているという。お店の人に相談してみるといいだろう。
とにかく刺されたら、一刻も早く、皮膚科で除去してもらい、抗生物質を服用することが先決だ。10日間から2週間の抗生物質の服用で、病原体は死滅する。
感染初期には、遊走性紅斑(ゆうそうせいこうはん)と呼ばれる赤い斑点や丘疹(きゅうしん)が現れることが多く、ほかに悪寒(おかん)、発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛、倦怠感(けんたいかん)などのインフルエンザ様症状が現れることがある。これは、漢方でいう「傷寒(しょうかん)」に相当するので、インフルエンザ様症状が出ているときに、傷寒の治療薬である葛根湯や麻黄湯(まおうとう)を服用すれば、完治するかも知れない。ただし、特に麻黄湯は発汗力が強いので、夏期に使用する場合は、汗が止まらなくなる、脱汗(だっかん)が起きやすいので、注意が必要だ。脱汗が起きると、適切な治療をしないと重篤(じゅうとく)な症状に陥(おちい)る。
ちょっと寄り道をして、脱汗についてお話しよう。
脱汗、あるいは絶汗(ぜっかん)ともいう。危急(ききゅう)のときに見られる大量の発汗で、油のような汗が止まらないことをいう。重症の高熱と発汗・激しい嘔吐(おうと)や下痢(げり)・大出血・慢性病の消耗(しょうもう)などで見られる。
以下の症状に応じて、処方を使い分ける(「症状による中医診断と治療/主編-中医研究院 趙 金鐸/神戸中医学研究会翻訳(燎原書店刊)」より)
・気陰欲絶(きいんよくぜつ)=亡陰(ぼういん)の脱汗→気と陰(体液)がまさに絶えようとして表れる熱症状→粘稠(ねんちゅう)で熱い大量の汗、あるいは油のような汗が止まらない・体に熱感がある・手足が温かい・唇や舌が紅(あか)く、乾燥する・脈が細く、力がなく、速い→生脈散加山茱萸(しょうみゃくさん/か/さんしゅゆ)を用いる。
・陽気欲越(ようきよくえつ)=亡陽(ぼうよう)の脱汗→陽気が体外に逃げて、寒(冷え)の症状を表す→薄くて珠(たま)のような冷(ひ)や汗が大量に出る・寒がる・体を縮める・四肢(手足)が冷える・元気がない・顔色が蒼白(そうはく/青白い)・呼吸が微弱(かすかで弱い)・喉が渇いて、熱い飲み物を欲しがる・脈は微弱(びじゃく/かすかで弱い)、あるいは浮いて速く、触れるとネギのように、中が中空に感じられる→参附湯加竜骨・牡蛎(じんぶとう/か/りゅうこつ・ぼれい)を用いる
約4週間後の播種期(はんしゅき)になると、ライム病の病原体が全身に広がり、皮膚症状、神経症状、不整脈、眼症状、関節炎、筋肉炎など、全身に多彩な症状が現れるが、症状のみでライム病を確定診断するのは難しい。感染から数ヵ月~数年を経た感染後期には、播種期の症状に加えて、慢性萎縮性肢端(まんせいいしゅくせいしたん)皮膚炎などの重度の皮膚症状、慢性関節炎、慢性脳髄膜炎(まんせいのうずいまくえん)などが現れるが、日本では感染後期に移行した事例は報告されていない。
近年、蚊が媒介するデング熱や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなど、虫や鳥獣による感染症が増えている。3、40年前、僕が高山植物を求めて、山登りに夢中になっていた頃、そんな話はあまり聞かなかった。もちろんマダニとライム病に関する知識はあったが、マダニに刺されたことは一度もないし、またそれを意識したこともない。
懐かしき山々
ふり返ってみれば、僕にとって、山登りは懐かしく、楽しい思い出ばかりだ。
僕が愛した東北の花の名山・焼石岳(やけいしだけ)や飯豊(いいで)連峰、上越の苗場山(なえばさん)や尾瀬や谷川岳、首都圏近郊の奥多摩や丹沢……
美しい高山植物を見つけては、立ち止まって、シャッターを切り、疲れたら、ひと休みして、谷川の水や湧き水(わきみず)でコーヒーを淹(い)れて飲む。落ち葉と大地をくぐり抜けてきた、真正のミネラルウォータで点(た)てたコーヒーは、ほんのり甘く、トロッとして、たとえようもなく美味(うま)かった。僕は、いつも、その水を水筒に入れて持ち帰り、自宅でコーヒーを淹れて飲んだ。
そんな気ままな山登りを愛した僕の場合、ほとんどは単独行だったが、時折、友人や妻と登ることもあった。とりわけ妻との山登りは楽しかった。「いい眺(なが)めだなぁ~ ここで、コーヒー飲もうか?」「お腹すいたね、ラーメンでも食べようか?」 そんなとき、いつも妻は、お湯を沸(わ)かしてラーメンをつくり、コーヒーを淹れてくれた。ふたりが20代、30代、40代の若かった頃、そんな山旅ができて、本当によかったと思う。たがいに70歳を過ぎた今、それは大切で貴重な思い出になった。
そんな山旅が、マダニの危険性に怯(おび)えなくてはいけないというのは、とても残念ことだ。
上越・苗場山でクマと遭遇(そうぐう)
あるとき、苗場山頂上にある山小屋「遊仙閣(ゆうせんかく)」で一泊して、秋山郷(あきやまごう)に降りることにした。北越雪譜(ほくえつせっぷ)の著者・鈴木牧之(すずきぼくし)は、故郷の秋山郷を桃源郷と呼んだ。平家落人伝説が残る、山深い集落だ。冬は豪雪で、雪に閉ざされた孤立集落になる。また、マタギの里としても知られている。
2,145mの苗場山の頂上には、南北4km四方の溶岩台地の広大な高層湿原が広がり、約3,000もの大小の池塘(ちとう)が点在している。池塘は、高山の湿原や泥炭層にできる沼地で、雪が解ける初夏の季節には、ミヤマホタルイ、ヤチスゲが新緑の芽を吹く。その様子が田植えを終えたばかりの苗田(なえだ)に似ているところから、苗場山の名がついた。
夏になると、湿原を彩(いろど)る、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、チングルマ、コイワカガミ、キンコウカ、ヒメシャクナゲなどの湿原植物のお花畑が広がり、それに混じって、コメツガなどの低木の針葉樹林が点在する。その美しさから、天上の楽園と呼ばれている。登山者が湿原を踏み荒らさないように、湿原には木道が敷かれている。
吹き抜けていく風の中で、木道に立って、はるか彼方(かなた)にある、空と台地を分ける地平線を見ていると、この世のすべてを超えて、僕は幸せだと思った。
広大な湿原の東の端を横切って、下山口に着くと、「熊出没注意!」と手書きの立て看板がある。前夜の雨でぬかるんだ登山道に、くっきりとクマの足跡が残っている。「ああ~クマがいるんだな~」と軽い気持ちで下山を開始。それまで何度もカモシカに出会ったことはあるが、クマに会ったことはない。カモシカはとても無邪気な動物で、目が会うと、不思議そうな顔をして立ち止まって僕を見つめる。そして、それから何事もなかったように立ち去る。
当時、危険な動物といえば、北海道のヒグマくらいしか思い浮かばなかった。昨今のクマ報道を聞くにつけ、ツキノワグマがこんなに凶暴(きょうぼう)だとは知らなかった。下山道を降りて行くと、至る所にクマの足跡がある。おそらく、登山者が残していった残飯(ざんぱん)や食料に味を占めて、登山道を徘徊(はいかい)しているのだろう。もう15分も降りれば、里にたどり着くという所で、藪(やぶ)で遮(さえぎ)られた曲がり角の向こうから、「ウォッ!」と獣(けもの)が吠(ほ)えついてきた。姿は見えないが、一瞬、「熊だ!」と思って、急いで走って、登山道を登り返した。幸い、クマは後を追って来(こ)ようとはしなかった。5分ほど登り返すと、登山道を横切る、広い山道に出た。里人が山仕事に利用するために造った、山道だろう。車一台が悠々(ゆうゆう)と通れる、立派な道だ。「だとすれば、この道を下れば、人里に着くに違いない。この開けた見通しの良い山道なら、クマが現れることもないだろう」と思って、ゆっくり山道を下った。15分も下ると、人里に出た。里は、そばの花が風に揺れて、のどかだった。中津川の支流にかかる橋を渡って、宿に着いた。宿は川のすぐ側にあり、河原に露天風呂があった。すぐ隣は学校の校庭だったが、子どもや大人の姿はない。僕は素っ裸(すっぱだか)になって、露天風呂に飛び込んだ。心地よいお湯の中に、山旅の疲れが溶けていった。
懐かしき苗場山の想い出
僕は苗場山が好きで、何度も通った。苗場山は新潟県と長野県の県境に位置する、国境の山だ。金曜日の夜、上越線の夜行に乗って、越後湯沢に向かう。列車は早朝、駅に到着する。登山口の祓川(はらいがわ)行きの始発バスまで、駅構内で寝袋にくるまって仮眠する。バスの終点から2キロほど歩くと、登山口の祓川に着く。ここから神楽スキー場のリフト沿いに登っていく。
神楽スキー場は、スキー誌をやっていた頃、編集部員やライター、カメラマンたちとスキー合宿に訪れた、思い出のスキー場だ。スキー誌を創刊するに当たって、編集部員を公募することにした。応募要件/資格は、「スキーが大好き!」、ただそれだけだ。まさに行く手に嵐を予感させる、破天荒(はてんこう)の船出だった。スキー専門のライターやカメラマンなどは望むべくもない。彼らは皆、すでに先行するスキー誌の専属スタッフだ。そこで、編集部員がインストラクターとなって、スキーなどやったこともない、彼らを特訓することになった。何はともあれ、スキーを履(は)いて、ゲレンデを移動できなければ、スキー誌の取材はできない。一週間の特訓で、皆、なんとかボーゲン(最も初歩の滑降/かっこう技術)でゲレンデを移動できるようになった。
ゲレンデを登っていくと、和田小屋に着く。この小屋は、冬はゲレンデのロッジとして利用される、ちょっとお洒落(しゃれ)な小屋だ。さらに高度を上げると、登山道はリフトを離れ、やがて樹林帯を抜けて、神楽(かぐら)ガ峰の頂上に着く。一気に眺望(ちょうぼう)が開け、高山植物のお花畑が広がる。それから、いったん、鞍部(あんぶ)に下りて、ふたたび登り返すと苗場山だ。苗場山の山頂には、遊仙閣と苗場山頂ヒュッテの二つの山小屋がある。今日は、苗場山頂ヒュッテに泊まって、明日は、上越側の赤湯に降りることにしよう。
朝食を終えて、ヒュッテを出ると、目の前に、あきれるほど広大な高層湿原が広がっている。天気が良いので、青空の中に一本横線を引いたような、湿原の果ての地平線まで見渡せる。湿原を保護するために敷かれた、木道の心地よい感触を靴底に感じながら、可憐な高山植物の花々にシャッターを切る。登山道は、やがて樹林帯に入り、もういい加減着いてもいい頃だと、少しばかりうんざりしてきた頃、急斜面の木の間越(このまご)しに、赤湯の宿「山口館」が見えた。山口館は、苗場山中にある一軒宿のランプの温泉として知られている。すぐ目の前に、清津川が流れ、そのほとりにいくつか露天風呂がある。
宿の壁に、当時、皇太子だった、現陛下一行の写真が飾ってある。皇太子が山好きでいらっしゃることは知っていたが、苗場山を経て、この山口館にお泊りになったことを知った。良き青春を謳歌(おうか)されているのだな~と思った。
帰宅して、山口館に愛用のウィンドヤッケを忘れてきたことに気づいた。このウィンドヤッケは、エジプト綿で出来ていて、とても軽く、風もしっかり防いでくれる、雨に濡れても、数時間で乾くという優れモノだった。早速、手紙を書いて、もし置き忘れていたら、送り返してもらえないかとお願いすると、じきに手元に届いた。頂いたお手紙の達筆と文章の品格に、驚いた。人里から遠く離れた山中の秘湯の一軒宿に、こんな人がいるとは……
どこに、どんな人がいるのか、分からないものだと、あらためて考えさせられた。
「あなた方の多くは、社会の第一線から少し距離を置いた、静かな場所で過ごしているでしょう。そして、たとえ人に知られることはなくとも、日々、自分がなすべきことを、誠意と責任をもって、淡々とやっているでしょう」とマイケルは言う。あなたが、今、社会の第一線から少し離れた場所で暮らしているのは、大衆社会の喧騒(けんそう)とトラブルに巻き込まれないようにするためです。今、スピリチュアルに進化していく上で、あなたはそんな環境を必要としています。それは神の配慮であり、導きです。また、それは、光の軍団の使命を達成するためでもあります。人々の心と地球に、光を送ることを使命とする、光の軍団の一員であるあなたは、何時どんな時も、自らの周波数を高く保ち、落とさないようにすることが絶対的使命です。誰もが、ロナやランディーのように、軍団のリーダーとして、社会の前面に立つ運命を背負(せお)っているわけではありません。光の軍団の兵士の多くは、自分が置かれた場所と立場で、誠意と責任をもって、仕事と役割りを果たすことを求められています。それが光の軍団の兵士の使命です。光の軍団に、階級は存在しません。ロナも、ランディーも、僕も、あなたも、すべての人が平等です。ただその役割りが違うだけです。
ふと僕はそんなことを考えた……
日常生活に忍び寄る、地球温暖化
北半球に限定して話をしよう。今、地球的規模で見て、日本近海の海水温が最も高くなっているという。地球の上空には、地球の自転にしたがって、西から東へ、偏西風が周回している。近年、この偏西風が、昔と比べて、北よりに移動している。つまり、偏西風が、昔より高緯度の上空を吹き、流れているのだ。また、昔と比べて、偏西風の蛇行(だこう)が激しくなっている。ご存知のように、偏西風の北側は、北極の冷たい空気を含み、南側は、赤道の熱い空気を含んでいる。したがって、偏西風の北側は、冷夏になり、南側は猛暑になる。偏西風が北(高緯度)に移動した結果、日本全体が高温多湿の太平洋高気圧に覆(おお)われ、亜熱帯化する。これまで梅雨のなかった北海道にも梅雨が訪れる。こうして太平洋高気圧によって海水温が上がると、大量の水蒸気が発生して、豪雨をもたらす。高温の海水から次々と水蒸気がもたらされることで、線状降水帯が発生し、短時間で河川の氾濫(はんらん)や洪水が起きる。
一方、偏西風が蛇行し、蛇行の波頭の中に入ると、その地域は高温多湿の太平洋高気圧に包まれ、猛暑、豪雨、洪水が発生する。波頭の外に出ると、その地域は乾燥した冷たい大陸の高気圧に包まれ、冷夏と旱魃(かんばつ)になる。偏西風は、地球の自転にしたがって、西から東に移動し、地球を周回しているので、天気が目まぐるしく変わり、昔と比べて、天候が安定しない。
偏西風が北を流れるようになったのも、また偏西風の蛇行が激しくなったのも、原因は「北極と赤道の温度差が小さくなった。すなわち、北極地方の温度が高くなった」からだ。北極地方の温度が上昇した結果、北極の冷気団が勢いを失い、赤道地方の熱気団によって、偏西風が北に押し上げられる。
川の流れを見れば分かるように、川は、流れの激しい上流では蛇行しないが、下流のゆったりした流れになると、蛇行する。それと同じ原理で、北極と赤道の温度差が小さくなると、偏西風は蛇行する。反対に、北極と赤道の温度差が大きくなると、偏西風は直線状になる。
今、地球温暖化によって、北極の氷が溶けつつある。それは、もはや止めようのない現象だという。永久に溶けることがないと考えられてきた、ツンドラ(永久凍土)の氷が溶けつつある。それは、年を追うごとに加速している。この永久凍土の中には、温室効果を持つメタンが封じ込められている。もし、ツンドラの氷が解けて、メタンが大気中に放出されると、地球は灼熱(しゃくねつ)の星になるかも知れない。また、このツンドラには、太古の未知のバクテリア(細菌、ウイルスなどの微生物)が眠っていると考えられている。それらが、氷の中から解き放され、ふたたび地上に甦(よみがえ)ったとしたら……
その影響は、僕たちの日常生活にも、急速に現れつつある。日本近海を流れる黒潮の温度が上昇した結果、寒流魚であるサンマ、サケなどが極端な不漁(ふりょう)で、代わって、イワシ、サバなどの暖流魚が豊漁(ほうりょう)だ。娘がふるさと納税の返礼品として選んだ、福島のサクランボが不作で送れないと連絡があった。この暑さで、実が割れ、しなびてしまって、売り物にならないという。同じようなことが、米や野菜などでも起きている。日本列島の温暖化、亜熱帯化によって、水産物、農産物に大きな被害が出ている。これまでの漁業構造、農業構造を抜本的に見直さなければならないだろう。
シロサイとクロサイの悲しみ
南アフリカ共和国は、クロサイとシロサイの生息地として知られている。かつて50万頭いたサイは、密猟(みつりょう)によって1万2,000頭にまで減少した。さらに毎年、1,000頭が密猟で命を失い、サイは、今や絶滅危惧種に指定されている。密猟の原因は、サイの角が、東アジア(主としてヴェトナム)で高値で取引きされているからだ。ヴェトナムでは、サイの角は「奇跡の薬」として、民間でガン治療などにも使われ、1本2,000万円で取引きされるものもあるという。近年、経済発展が著しいヴェトナムの富裕層が、それを買い求める。困った政府は、密猟を根絶するために、意表をつく作戦に出た。それは、サイの角に穴をあけ、そこに放射性物質を注入にした後、穴をふさぐというものだ(サイに害はないそうだ)。こうすれば、人の口に入る医薬品として、サイの角を利用することができない。密猟に当たっては、貧困に苦しむ、周辺の村人たちが密漁団を手引きしているといわれる。
密漁は、はてしないエゴの欲求と貧困という、人類の永遠の課題を象徴している。
「漢薬の臨床応用(神戸中医学院 神戸中医学研究会編/医歯薬出版株式会社)」によれば、漢方で、サイの角は犀角(さいかく)と呼ばれ、生薬(しょうやく)として使われる。主としてインドサイ、ジャワサイ、スマトラサイなどの角が使われてきた。強力な解熱(げねつ)・強心(心臓の拍動を強める)・血管拡張・血圧上昇・白血球減少・鎮静作用などが認められている。犀角を配合した方剤に、犀角地黄湯(さいかくじおうとう)、紫雪丹(しせつたん)、清営湯(せいえいとう)などがある。主として熱性伝染病の最盛期に現れる、高熱・出血に対して用いられる。日本脳炎、脳脊髄膜炎(のうせきずいまくえん)で現れる、持続性高熱、意識不明、譫語(せんご/うわごと)、夜間睡眠不安、痙攣(けいれん)、発疹(ほっしん)には紫雪丹、清営湯を用いる。また、皮下出血、発疹、吐血(とけつ)、鼻出血があるときは、犀角地黄湯を用いる。致死率80~90%といわれるエボラ出血熱にも応用できる。また犀角地黄湯は、出血性疾患である鼻出血、歯齦(しこん/はぐき)出血、吐血、血便に用いられる。
ちなみに、「血小板減少性紫斑病には、帰脾湯(きひとう)が良い!」と漢方の師に教わった。。
犀角は非常に高価なので、現在は使用せず、代わりに牛や水牛の角を用いている。ただし、牛や水牛の角を使う場合、犀角の8~10倍の量を使う必要がある。
そして、今、僕たちにできること、僕たちがすべきこと!
今、僕たちを取り巻く自然環境が大きく変化している。マイケルは、「それは、新たな時代への変化の幕開けです」と言う。もし、今が変化の幕開けなら、この急激な環境の変化は、さらに深刻さを増していくだろう。
僕たちが、創造主の新たな実験として、この三次元の二元性の創造の実験に名乗りを上げたときに見せられた、はるかに遠い地球の未来の姿……
それが今だ!
そして、地球と人類の未来の運命は、僕たち人類の手中にある。
今、僕たちにできることは何だろう? 僕たちがすべきことは何だろう?
①5つの王国の管理者であることを思い出す
地球にはデヴィック王国、鉱物王国、植物王国、動物王国、人間王国の5つの王国があります。人類は、この5つの王国の管理者として、神に任命されました。まずそのことを思い出す必要があります。
原初、地球は、この上なく純粋で、美しい星でした。この美しい星で、僕たちは地上天国を創造する予定でした。地球温暖化、環境汚染は、神の計画にはなかったことです。人類のはてしなき欲望が生み出した、現在の地球の姿……
どうか嬉々(きき)として、創造の実験に参加した、あの頃を思い出して下さい。
この地上で、初めて美しいバラの花を、そして神秘的な蓮(はす)の花を創造したときの喜びとエクスタシー(歓喜)を思い出して下さい。
自然に親しみ、自然を楽しんで下さい。その喜びを知れば、僕たち人類が自然の一部であることを思い出すことができるでしょう。吹き渡る風の中に無心に立って、梢(こずえ)のざわめきに耳を澄ますとき、煩(わずら)わしい世の中の出来事のすべてを忘れて、あなたは幸せを感じるでしょう。富や財産を超越して、あらゆる人間関係のトラブルを超越して、ただただあなたは幸せを感じるでしょう。
キャンピング、登山、自然の中のウォーキング……なんでも構いません。
自然と共に生きる喜びを取り戻して下さい。
AIが急速に普及し、社会全体が夢中になっています。発光ダイオードが発明されて、美しい光の世界が人々を魅了しています。この2つに共通するのは、ヴァーチャル・リアリティ、すなわち仮想現実です。つまり、人類が創り出した、新しい人工的な世界です。もし人類が仮想現実に閉じこもってしまったら、人間の感情と精神は生き生きとした生命力を失い、枯渇(こかつ)しています、創造力を失ってしまいます。
僕たちは生き生きとした現実を体験するために、この地上に生まれてきました。輝かしい生命と光を放つ植物や動物たちとの交流、自分とは異なる体験を持つ様々な人たちとの生き生きとした交流。それを通じてしか、人類は創造的体験をすることはできません、つまり叡智を育て、養うことはできません。
リモートワークでは、その人の息遣(いきづか)いが分かりません、その人の喜び、悲しみ、苦しみ、痛みが聞き取れません。
ポジティブ、ネガティブ、あらゆる体験をするために、あなたは生まれてきたのです。
どうぞリアルな現実と、リアルな現実の体験を愛して下さい。
でないと、あなたは、創造なき、氷の世界で生きることになります。
その結果、地球は凍(い)てつき、生命なき、氷の星になってしまうでしょう。
②今、あなたにできることをやる
地球の温暖化と環境汚染をくい止めるために、どんな小さなことでも構いませんから、今、あなたにできることをやって下さい。知人に、ボランティアで、丹沢の登山道の整備をしている人がいます。また、海岸のゴミ拾いをしている人もいます。山と海を楽しみながら、地球の美しさを取り戻すためです。
③できるだけ頻繁(ひんぱん)に、できれば毎日、無限呼吸を実践する
無限呼吸を通して、地球の中心にいる、ガイアに愛とアダマンタイン粒子を送ることができます。ガイアは、5次元に上昇することを決意しました。そのため、これまで自分自身に加えられてきた、ネガティブなエネルギーを解放しているところです。そのガイアの解放の痛みが、砂漠化、豪雨、洪水、山火事、地震などの自然災害となって現れています。もしあなたが、無限呼吸を通して、ガイアに愛とアダマンタイン粒子を送ることができれば、僕たち人類は最小限の被害で、ガイアの悲鳴である、自然災害を乗り越えることができるでしょう。それは、ガイアのみならず、人類のアセンションを、さらに容易に、さらに加速することになります。
できるだけ頻繁に、できれば毎日、無限呼吸を実践して下さい。
④怖れを捨て、今という瞬間に100%力を尽くす
「過去を悔(くや)やまず、未来の脚本を書き、今という瞬間に100%生きる」
人類のエゴが創り出した、今の地球の姿。しかし、過去を悔(く)やんでも何の意味もありません。
あなたが理想とする、地球はどんな姿をしていますか?
頬を撫(な)でて通り過ぎる爽(さわ)やかな風、川底の砂や小石が透(す)き通って見えるほど美しい清流、蜜を求めて百花を飛び交(か)う蝶たち、青空をゆったりと流れる白い雲……
首都直下型大地震、南海トラフ大地震に備えておくことは大事です。しかし、怖れる必要はありません。怖れは怖れを現実のものにします。というのは、思考が現実を創造するからです。怖れる人が多ければ多いほど、怖れが実現する確率は、累乗(るいじょう)に高くなります。
自然を愛し、無限呼吸を通して、ガイアに愛とアダマンタイン粒子を送る限り、あなたが地震、洪水などの自然災害に遭(あ)うことはありません。かりに遭ったとしても、その被害は最小限に止(とど)められるでしょう。なぜなら、あなたは、地球を愛し、地球に愛とアダマンタイン粒子を送ったのですから。カルマの法則の当然の結果として、あなたは地球から愛を受け取ることになるでしょう。
⑤エゴをハートの下僕(しもべ)にする
はてしない人類のエゴの欲求が、自然破壊と様々な人類の不幸を創り出しています。僕たちが、初めて地球に降り立った、あの栄光のレムリアの時代のように、エゴをハートの支配下に置いて、しっかりとコントロールすることがきわめて重要です。
何が本当の幸せか、自分の心に問い直してみて下さい。
もう一度、幸せの定義を問い直してみて下さい。
人も、花も、木も、森も、虫たちも、蝶たちも、シカやクマたちも、そして川や湖も、空さえも……すべてが愛に包まれたレムリアの時代の再来は、僕たちひとり一人の心の中から始まります。
「プレアデス 光の家族(バーバラ・マーシニアック著/愛知ソニア訳/太陽出版」より
「あなた方は物質的なものに価値を置きます。そしてこのことが、あなた方が思考のパワーを放棄してしまう人類の大きなフォーカスとなってしまったのです。あなた方の教育は十分生産できないというシステムのために、生産すること、つまりもっともっと生産し、もっともっと捨てていくことをベースとしたシステムです。自分の権威を他人に手渡すことと、言われたとおりを信じてきた結果として、肉体次元の世界であなた方は拡大し過ぎて、物質的な快楽にあまりにもフォーカスしすぎ、あなた方の環境を破壊したとでも言うべきか、少なくともそう見える状態になったのです。荒々しい物質主義が、あなた方が自然の中に見つける“地球の図書館、母とあなた方のコネクションであるその図書館からあなた方を分離してしまったのです(執筆者註)」
執筆者註:プレアデス星人は、「あなた方は物質的なものに価値を置き過ぎた結果、思考のパワーを放棄してしまいました」という。つまり、「思考が現実を創り出す」ことを忘れてしまったのです。創造の源であり、原動力である、偉大な思考の力を放棄してしまったのです。そのために、人類は、必要なものを必要なだけ生産することができず、ありあまるほど生産しては、また壊していくという、きわめて不完全な生産システムを構築するしかありませんでした。しかし、それは幻想にすぎません。人類は、思考の力を使って(思考することによって)、いつでも、必要なものを、必要なだけ十分に、創り出すことができます。それらは酸化することも、腐敗することもなく、永遠の生命を持って、存在します。
人類がこのような幻想に陥(おちい)ったのは、「自分の権威を他人に手渡すことと、言われたとおりを信じてきた結果」です。自分の権威とは、「あなたは全知全能の神の子どもであり、すべてを知っており、すべてを創造できる」という、神から与えられた、生まれながらの権利のことです。「言われたとおりを信じてきた」とは、そんな自分の力を忘れてしまって、物事をよく知っていると信じられている、専門家や偉い人たちの言うことを真実だと信じて、それに従ってきたからです。つまり、あなたが、自らの創造の力(思考の持つ力)と創造性を放棄してしまったからです。
あなた方は、肉体次元、物質次元に、あまりにも焦点を当てすぎてバランスを失ってしまいました。その結果、物質的な快楽に走って、結局は、自然を破壊してしまいました。
「自然は、偉大な地球の図書館」です。そこには、あなた方人類が生きる大地と地球の歴史、および、それに関するすべての知識と謎に対する答えが隠されています。
自然は、母なるガイアとあなた方を結びつける、コネクション(連結器)です。
行き過ぎた物質主義が、あなた方と地球の図書館および母なるガイアを分離してしまいました。