夢で亡くなった人と会話をした。

すっごくリアルで、会話もほとんど覚えてる。

 

夢という形ではあれど、それは多分本当に会っていると思います。

 

 

霊の世界について書かれているものを読んでみると、亡くなった人が夢に出てくるまでには、幾つものプロセスを踏まないといけないと書いているものもあります。

 

一方で、人間の風習に合わせて、本当はいつでも戻ってこれるけれど、お盆とかお彼岸に合わせて帰るように段々変わってきたと書かれているものもあったりします。

 

 

うちの父の場合は、今年は初盆ということになりましょうが、このお盆では出てきませんでした。

 

以前、祖母は会いにきてくれて、三日ほど一緒に本当に過ごしてくれたような感覚があったので、少し残念に思いました。

祖母の場合は、読経をしていると蝋燭の火が縦に五倍ぐらいの大きさになってびっくりしたり、昔の匂い袋のような優しい祖母の家の匂いがして懐かしく思ったり。

また、お米が出来上がった炊飯器の蓋が、ちょうど良いタイミングで、なぜだか自動で?開いたこともありました。

夢でたわいのないおしゃべりができたり。

そして、朝は目覚まし時計のアラーム音で規則正しく目覚めるのです。未設定なのに。

 

で、起きても、夢の中での会話は今あったことのように覚えている。

 

特別なことを望んでいるわけではないですが、祖母に伝わってるっぽいと感じられて嬉しかったのを覚えています。

あまり大したことはできませんけれどね。

 

生前の父にはいろいろな思いがありましたけれど、今となっては仏さん一年生。

 

最近のわたしは、魂によって、行く場所は自動に振り分けられるように次元移動すると思っています。多分、これがいわゆる天国とか地獄とか、そういうものなのかもしれません。

 

波動や霊性が高ければ、周波数の高いところへ。

そうでなければ、それに応じた低階層へ行くのかなと。地獄だとか修羅道だとか言われるような。

 

父の場合は、どなたかから、”二イン(二院?)(かニイイン(二隠?))のなんとかへ”という行き先を告げられましたので、下から二番目の低層かもしれません。

いずれ良いところへ行けたらいいなぁと思い、日々手を合わせています。

 

 

 

餓鬼になった方々を救うのが施餓鬼。

父は修羅道とか低い階層へ行ったのかもしれません。

成仏できても、それがゴールでなく、魂に合う場所へ移動するならば、父をいずれ少しでも良いところへ行けるように供養をと思います。

(成仏後に合う階層へ移動なのか、ただ移動なのかはまだよくわかりません)

餓鬼を救えるなら、低い層へ行ったであろう家族も、きっといつかは救えるはずだと思うからです。

 

一方、祖母は、成仏もしていて、今とはあまり変わらないような見た目の、しかし穏やかな死後の世界で新しい人生を謳歌しているようです。?

ですから、生前の暮らしぶりはやはり大切。

 

こういう考え方になるのは、瞑想とか、本とか、見えてくるものだとかから、ヒントとインスピレーションですね。

 

面白いところでは、韓国のドラマで死後の世界を扱ったものがありました。

 

『君は天国でも美しい』というものです。

 

わたしは全く韓国ドラマに興味がないのですが、当時知り合いや夫に勧められまくって、半分嫌々ながらネットフリックスで観たのです。

 

しかし、意外なことに、結構合ってる感じがするという印象を受けました。

 

言葉遣いが悪かったり、後半ダルかったり、「いや、これはないわ」と突っ込みたくなるところも満載ですが、死後の世界を理解するのに少し役立つかもしれません。

作っている人たちには、もちろん想像もあるのでしょうけれど、そこには何かインスピレーションをもらっている部分もあるようです。

 

それに、韓国は今ではキリスト教徒の方が多い国なのに、仏教の死生観がちょこちょこ出てくるのも、興味深いと思いました。

 

夢からこんな話になってしまいました。

 

死後のことを少し知ると、もっと手を合わせたくなります。

手を合わせて祈る。

そんなことを続けていると、「供養するものは供養される」という言葉をだんだんと身に染みて感じるようになってきます。

不思議ですね。