お稲荷さんのお話の途中なんですが、なんだか書きたくなったので。

 

※すこぶる長い(2000字くらい)です。文章を分けるのが苦手でゴメンナサイ〜。興味のある方だけ読んでくだされば‥。

 

 

 

海外に長く住むようになって、日本へ行くたびに思うことがあります。

 

年々余裕のない人が増えているように感じること。

 

もちろんたくさん親切にしていただきました。

日本ってやっぱりいいなと思う場面もたくさんありました。

 

一方で、悲しくなるような場面も多々ありました。

 

相手に聞こえるように悪口を言う人の多いこと。

自分だけ通れればいいと、次の人のために扉を押さえない人。

エレベーターへ走ってくる人がいるのに、閉めるボタンを連打する人。

セルフレジで空きができた時、前に並んでいた人に「あそこ空きましたよ」と声をかけても良さそうなのに、順番を抜かして小走りで入っていく人。

 

席を譲らない人。

逆に席を譲った時、大袈裟なくらい喜ばれて、こちらが恥ずかしくなることもありました。

 

カフェで車椅子のお年寄りを手伝おうとした時には強い口調で断られ、手を大きく跳ね除けられたこともありました。

(わたしは驚いたものの、ただ残念な気持ちになっただけでしたが、同じように手助けしようとして叫ばれた若いママは泣いちゃっていました、、、)

 

今回は日本人らしい格好をしていたからか、変な差別を受けることもなく、むしろ親切にしていただくことの方が多かったです。

 

それでもこういう場面を見かけるたびに少し寂しくなりました。

 

海外生活の中で、見た目や話し方の違いで差別を受けることは日常的にあります。

 

しかし、相手に聞こえるように大きな声で悪意を向けるというのは、日本人独特なのかもしれません。

自分がされたわけではなくても、毎度衝撃を受けました。

 

幸せな人はきっと他人に意地悪をしない。

苦しい思いを解消できないまま抱えて生きている人が多そうな印象を受けました。

 

 

カナダに戻ってきて、そんな光景を思い出していると、以前見た夢を思い出しました。

 

 

 

 

数年前、地獄のような場所へ行く夢を見たことがあります。

もちろん夢です。

 

そこは茶色っぽい荒涼とした世界で、人々が欲や怒りをむき出しにしていました。

 

怒り、争い、恨み、叫び。

 

他に、日記に書いていなかったことで思い出せるのはこんな場面もありました。

 

気に入らないことがあると、ためらいなく相手を傷つける。

そして傷つけられた側もまた相手を恨み返す。やり返す。またやり返す。

 

そんな世界でした。

 

その時はただ恐ろしくて早くそこから離れたいと思いました。

 

今読み返すと、あれは阿修羅道のようなものだったのかなと思います。

本当にそうなのかは分かりませんけれどね。

 

阿修羅道は怒りや争いから離れられない存在として書かれています。

 

今回の旅行で感じた人々の余裕のなさ。

自分だけ、今だけ、我欲だけ、という気持ち。

 

わたしには少しあの夢の世界と重なって見えました。

 

生活が苦しい時、人は周りを見る余裕をなくしてしまうことがあります。

 

自分のことで精一杯になれば、他人に優しくすることも難しくなる。

 

わたしもそんな時期が長かったので分かります。

 

しかし、反対に、本当に苦しかった時に助けてくれた人のことは今でも忘れません。

 

その人らの優しさがあったから、荒まずにいられたのだと思います。

(昔の日本生活では腐っていました。今考えると、憑依人生でしたが‥それはまた別のお話)

 

今、あの時に助けてくれた方が幸せに暮らしていることを心から願っています。

 

信仰の話を書くとまたかと思われるかもしれません。

しかし、経験上、苦しい時こそ信仰に救われることが多いです。

 

それは大金を出すことでも、何かを犠牲にすることでもありません。

 

大いなるものに見守られている。

一人ではない。

その感覚が心の支えになったりするなのかなと。

考え方や物事の受け取り方がすっかり変わったことで、生きやすくなりました。

 

わたしの場合、自分のお母さんは観音様だと本気で思っています。(他人には言いませんよ。笑)

 

親に頼ったり、話を聞いてもらえたりするような環境がありませんでした。

だから苦しい時期は長かった。

 

でも今は違います。

 

神仏に守られているという、絶対的信頼のような気持ちがあります。

 

また見られているからこそ、苦しい時でも間違った方向へ行かないように自分を抑えることができる。

 

今、辛い人に何か大きなことをしてあげられるわけではありません。

でも、少しだけ寄り添ったり、力を貸したりすることはできるようになりました。

それは昔誰かがわたしにしてくれたことです。

 

この世を良くするのも悪くするのも、結局は一人ひとりの心次第なのではないか。

ならば、少しでも良くしようという結論にここ数年でなりました。

 

これは決して自分勝手に生きるという意味ではなく。

意味やあり方は、それぞれで考えることが大切だと思われます。

 

わたしはあの夢をただの夢ではなく、自分への戒めとして受け取っています。

あのような世界に近づく生き方をしないように。

 

阿修羅道行きは嫌じゃぁぁぁぁぁぁ〜!

 

 

 

 

 

リンク先のブログで見えた光ですが、あれは光明真言を唱えているとたまにでてくる映像にも似ています。

雲が割れ、そこから強い光がパーっと射すのです。

 

 

長くなりました。

読んでくれてありがとうございます。

良い一日をお過ごしください☘️