わたしの場合、悪い物と聖なるものを見る時間はだいたい決まっているようです。悪いものは2時から3:30amごろまで、良いものや聖なるものは4am以降に見る気がします。


小さい頃は4:44という時間が怖かった。当時のテレビの影響で死を連想するとか不吉だとかなんとか周りが騒いでいたからです。しかし今は朝のそのあたりの時間帯は祈りが届く聖なる時間というイメージにかわりました。


今朝、早朝に目が覚めたので、一旦水を飲みにキッチンへ行くと、リビングにある仏壇の前で祈っている丸い背中が横目でチラッと見えたような感じたような気がしました。いや、気のせいかな?


見覚えのあるシルエットではない。なんとなく女性ぽい、、背中の丸さからおばあちゃんでしょうか。怖い感じはしない。時間を見ると4:20頃。怖い感じもしないし、時間的にも悪いものでもないのかな?と思い、もう一度見返すと何もいません。


うちのは仏壇とはいっても位牌があるわけではなく、お不動さまのお札と夫の香合仏が入ってるんです。だから身内が拝みにとかいう感じではなさそうな。でも悪い物でもなさそうなのでまあいっか?という感じ。祈りならねぇ照れ


不思議なものを見たな。誰だったんだろうな?と思いながら眠りにつこうとすると、


——


信じていれば

救われる


——


という言葉がやってきました。


これはあのおばあちゃんの気持ちなのか、上からの言葉だったのかはわかりませんが、神仏をまず信じることから全てがはじまるのは本当だと思います。


神仏の存在に疑問を抱くとその時点でもう何かが発動しないというか、意味をなさなくなるみたいな感じはする。信仰をはじめてそう感じるようになりました。


地道な信仰を続けていると、いつの間にか心の支えとなっていることを感じられるようになったし、今では助けてくれていることをよく実感します。昨日はまた夫への良さそうな兆しも見られました。不思議なことはちょくちょく起こってくるようです。


今朝の体験もまたよくわからないながら、そうした信仰の中で起こる何かの一端なのかもしれないと思いました。