最近、全くおじいちゃんの気配がしなくって寂しいです。


おじいちゃんってのは夫の祖父で、ずいぶん前に亡くなっている方です。


思えばおじいちゃんとの出会いは、釜山に引っ越す直前(2010年ごろ?)に夢の中で道案内をしてもらったことがはじめてでした。


案内をしてくれて、わたしが「(道難しいのに)なんでわかるんですか?」と聞くと、「かんこーくじんだからーっ♪」とおどけた感じで返事をしてくれたんです。


その後、夫の家で写真をみて驚きました。


この人、夢で会った!と。


彼はそれからも度々夢に出てきたり、時にはリアルに耳元で「⚪︎⚪︎⚪︎〜」とわたしの名前を呼んできたりしました。


不思議ではありますが、なぜだか意外と怖くないもので、、、。


ああ、そうそう。彼は日本人に仕えていた関係で日本語が堪能だったとかで、アクセントなく綺麗な日本語を話します。植民地解放後に親日派だとして拷問に遭ったそうですが、それでも何かと日本人のわたしを気にかけて夢にでてきてくれました。励ましてくれたり、慰めてくれたりと、、、。


そういったことは夫とカナダに移住し、読経をはじめてからもちょくちょくありました。実のおじいちゃんから愛された記憶のないわたしは、このたまの交流が楽しみでした。会話はほとんどないものの、まるで自分のおじちゃんかのように大好きな存在になりました。


しかし、そのおじいちゃんの気配がここ半年ほどパタンと途絶えました。


寂しい。なんででてくれないのかな。何か悪いことしたかな、、思い当たる節が沢山ありすぎて考えてもわかりません。しかし、ある日、はたと思いつきました。


もしかして、おじいちゃんって修行に入った?と。


というのも、うちの父方の祖母が夢に出てくれない理由を問うと、” 修行中 ” と言葉がきたことがありまして、だから気軽にこれないのだと知ったのです。(夢に出るにはなんか必要なプロセスがあるのかも?)


おじいちゃん、なんとなくですが、わたしが狙い通りに仏教徒になったことで安心したというかなんというか、あとは託したぞー的な?そんな印象を受けました。思い残すことがない的な?綺麗なお姿で、ああいう状態を上がられているというのだろうとなんとなく思いました。


これには言葉とかがあったわけではありません。なんとなくです、、、。


あ、ちなみに、最後にやってきた言葉は4月のこと、釜山の義実家にて ” (夫を) 幸せにしてやってくれ ” でした。


って、わたしがするんかいっ!笑




 それにしても、修行ってなんでしょうね。


守護霊になるための修行?


菩薩になるための行?


よくわかりませんが、とすると、やはり帰ってこれるのはお盆でしょうか。お盆休み的な。


韓国のお盆は旧暦でするので今年は9月中旬です。


義実家はそういったことをしっかりやる家ですが、うちにも何かやれることはあるかしら。


その時期は日本で旅行中だけどな、、、


ちょっと調べてみようかと思います。