四国でとあるお寺にバスで向かい、その帰りにまたバスに乗りました。


バス待ちの時に会社の同僚らしき20代の女性が2人でずーっと話をしていて、そのままバスの中でも大きな声で話をしていました。


いわゆるマウントの取り合いというものをしていたようで、仲良くなさそうでもないのにお互いにずーっと自分の自慢話をしていました。


こちらの様子を時折チラッとみながら聞こえるように謎自慢?をしてくる姿にこれはたまらないと思い、自分は途中からイヤフォンをして音楽を聴き始めましたが、それでも聞こえてくるほどの大声で話す2人、、、これには参りました。


バスを降りてからなんであの人達はあんなことをしてたんだろう?と思うと、酷かった方の女性の映像が浮かびました。


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劣等感


差別


(片親、中東系ハーフ、体型)


貧困


外国人の父は別れた母と自分を見捨てた?


泣きじゃくっている


なんで、、

なんで、、、

なんでわたしだけ、、、、!



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車内ではかなり自慢が酷かったので浮かんだ映像にびっくりしましたが、実は全て劣等感の裏返しだったのかな?


都会で住めば目立たないでしょうが、閉鎖的なところだと、体型にしろ、顔立ちにしろ、、人とちがうのはどうしても目立ってしまうのでしょうね。


片親は珍しくないですし、そもそも人はひとりひとり違って当たり前だと思いますが、、、そういったことが許されない圧力のようなものがあるのかもしれません。


お母さんの実家近くだからここに住んでいるのかな。


そういう人は都会とか海外に住めばだいぶ楽になりそうですけどね、、




四国は仏教徒としては巡礼の聖地で、遍路を少しでもすることが2019年末からのわたしの夢でした。


だからわたしにとってはお寺にいくつかいけたことは感動の連続でした。


しかし、そういったことに興味もないとそういう生き方があるのは当たり前で、普通の日常をおくる、、、うーん、なんだかもどかしかったです。


すぐ目の前に素晴らしい仏様が沢山いらして、いつでも慈悲の心や手を差し伸べてくれているのに、その手や心に気が付かない。


空気の綺麗なお寺、優しいお寺は癒しにも力にも励ましにもなるのに、、、



むぅ


聖人のような方もいますし、優しくしてくれる方も沢山いましたが、四国であってもそうではない方ももちろんいて、、、


なんだか学びのある出来事でした。