今思うと、どん底生活の中にも不思議なことはありました。

 

※2,000字ほどありますのでお時間のある方のみ読み進めてくださればと思います

 

 

カナダに来たばかりの頃は生活苦でした。

 

夫は系列会社に入社できるも職位を失い、当時の最低賃金で働く社員になりました。

 

スキルのない外国人の私は仕事にありつくこともできませんでした。

 

住む場所は一番安いところを探したつもりでも、家賃を払って携帯代等諸経費を全て払ったら、手元に残るお金はどう頑張っても1万円ちょっと。

 

双方の親から反対されていたので頼めませんでしたし、連絡をすればうちの親はむしろ金の無心をしてくる可能性もありました。

 

韓国から海外への引っ越しと移民申請に係る諸経費、入ったコンドでのベッドバグ(南京虫)被害により貯金も底をつき、カナダ生活をあきらめて韓国か日本に戻るための飛行機のチケットさえも買えないほどでした。

 

夫はなるべく会社で食事を取り(無料)、自分も一日一食か二食生活。

 

移民向けの語学学校(無料)に通えることになるも、別料金となるアクティビティなどへは参加することができませんでした。

 

とある休みの日に気分転換に夫と散歩に出かけて、途中休憩したくなり、すごくすごく悩んでから一杯約90円のコーヒーを1つ買い2人で半分こしました。

 

そのうちにカナダでは害獣扱いされているゴーファー(ネズミ系)を捕まえて食卓に出そうか、ではどうやって捕まえようか、、などと考えるようになりました。

 

差別も当たり前にありますし、日本では経験をしたことのない生活に絶望し、死にたいと思う日々を、仏教徒の夫が「どんなに辛くても自⚪︎だけはダメだよ」と日々声かけしてくれました。

 

 

 

 

一方で、語学学校で仲良くしてくれる人もできました。

 

(貧乏すぎて恥ずかしかったので当時アジア人の知り合いは作りませんでした)

 

 

 

ブルガリア人の友達は新天地を求め家族についてカナダにやってきたということでした。

 

その日はその子の家の近くに遊びにいき、お茶するお金ももったいないと思った私たちは彼女の家の前の公園でおしゃべりしていました。

 

 

すると、どこからか風で20ドル札が飛んできて足元に落ちたのです。(風の強い町)

 

!?!?

 

私「え、誰のだろう?どうしよう?警察に届ける??」

 

彼女「周りに誰もいないし、警察に届けたって名前が書いてないから持ち主には戻らない。きっと神からのお慈悲だわ。分けましょう」と言って、自分の財布から10ドル札を取り出し渡してくれました。

 

私「え、、でも、、、」

 

彼女「神に感謝すればいいのよ。私たちは泥棒じゃない」

 

私「うん、、、」

 

彼女はクリスチャンです。

 

罪悪感を感じながらも、お金に困っていたことは事実だったので、ありがたく頂戴しました。

 

おかげで久しぶりにキムチ以外の野菜を買うことができました。

 

私、辛いものは苦手なのです。働いてくれるのは夫なので、夫の命の必需品を買うことを優先していました。

 

正直助かりました。

 

 

 

 

別の日は、町中のショッピングモールでトイレに入った時に、自分の使おうとした洗面台の下にお札が落ちているのを見つけました。10ドル札でした。

 

周りに白人のカナダ人女性が3人いたので、誰かの落とし物かな?と思い「お金落とした人いない?」と声を上げると3人とも「No,,」と。

 

「え、、どうしよう?!」とまごついていると、その中の1人が「(お札に)名前書いてある?」と。

 

私「ないよ」

 

カナダ人女性「じゃあそれは正式にあなたのものよ」とウインクしてきました。

 

私「え、、」戸惑う私に他の女性2人も微笑んでくれました。

 

こちらもやや罪悪感を感じながらですが、、、正直大変に助かりました。

 

確かこの時は、このおかげで夫の仕事に必要な備品を買うことができました。その備品も割引セールがあって、この10ドルのおかげでギリギリ買えたのです。

 

長くなってきたのでそろそろ終わりにしますが、不思議なことに他にも同様なことが夫婦ともに起こったり、他人の優しさに救われることがちょくちょくありました。

 

 

 

 

そんな日々から7年ほど経つでしょうか。

 

人付き合いが苦手な私は今でも人間を嫌になることもありますが、助けてくれるのもまた人だと知りました。

 

また神仏を信じるようになってからは心も強くなりました。神仏を信じ始めると、なぜだか不思議なできことが増え、見えない力を信じざるを得ないようになり生活も変わりました。いつからか死にたいと思うことも無くなりましたし、コロナ禍の不安もありませんでした。

 

 

夫は仕事を何年も掛け持ちして働いてくれますし、今でも良い生活をしているわけではありません。

 

でも、ごく少額ではありますが、たまに募金や寄付ができるまでになりました。

 

さらに今年は久しぶりに日本(と韓国)に旅行できます。

 

今思えば、過去苦しかった時、何か見えない力に助けてもらっていたのだと思うのです。