数日前の明け方、

 

 

女の幸せは

愛されること

 

 

と文字が浮き上がりました。

 

今世では多分行者じゃなく、在家信者という生き方をしていくんだなと感じることは多々あったものの、恐らく道を諦めさせるためにだと思いますが、このような文面が実際にでてくるとガッカリ。

 

女であるということを嫌う人生です。

 

新卒で入った会社は度重なるセクハラで辞めました。知らない人から路上で襲われかかったことありますし、痴漢なんてのは名古屋で地下鉄に乗ればよくあることでした。町中でもすれ違いざまに卑猥な言葉を投げかけられたり、触られたりして。

 

海外に出てからはだいぶ減りましたが、それでもセクハラで離れた職場は1つや2つではなく、ストーカーに近いことをされたこともありますし、最近では秋に中国人からエロアカウントの被害なんてのもありました。

 

エロアカウントの彼は既婚者の私のことを好いてくれていたようです。クラスメートとして仲が良かったつもりでも、私の態度にも問題があったのかもしれません。


恨まれないようにでもはっきりと拒否するってのはなかなか難しいですね。経験上セクハラ関係は避けだすと嫌がらせに変わるのが常ですし。

 

行者になりたい理由の一つは、少なからずそういったことから因縁のようなものを断ち切るきっかけや強さのようなものが欲しかったのかもしれません。

 

だから、この文字は自分にとって考えさせられるものでした。

 

自分の望みとは全くの正反対ですから。

 

いつかの人生で女性をないがしろにするなどしたから、今世では女側になることでその経験を与えられたのかな。

 

行者になりたい気持ちは変わりません。でも痛いことをつかれたように感じました。

 

今世の目的は別にあると言われたような気がしました。

 

行者さんではなく、ちょっと熱心な信仰を持つ人になることを目指すように、少しずつシフトしていかなければならないのかなと思いました。