ちょっと前に見た夢の話です。
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目の前で誰かが亡くなりました。
その人の亡骸を見ていると、
’死んだらそこで終わりというわけではない’と男性の声が聞こえ、
何故だか
”山へ行かないと”
“四国遍路へ”
”一緒にまわらないと”と思いました。
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目が覚めて、すぐに忘れないようにメモを取ったのですが、しばらくこのことを忘れていたんですよね。
それで、さっきメモを見ていたら、メモした記憶のない”贖罪”という文字がありました。
え?!と驚いたのですが、考えてみると、夢を思い出したのか、たまたま今閃いたのか、、良くわかりませんが思い当たる節があります。
無意識に相手を傷つけたり、もしくは知らぬ間に(前世含む)罪を犯してしまった相手がいたとして、その相手が亡くなったからといって、そこで全てが終わりだとか、きれいさっぱり自分の罪がなかったことになるわけではない。
その過去の過ちを謝りに行くために、もしくはその方の供養のために?、今世で贖罪としてお遍路さんに行かないとってことかなってなんとなく思いました。
ところで、実家は信仰心があまりない家庭で、お葬式があるまで父方の宗派を知りませんでした。
母方のものは今でも知らないです。(母親は霊感は強いんですが、信心深い人ではなかったです)
ということで、うちは多分真言宗でもないと思いますが、そう言えば、母方の祖母が「お遍路さんに行ってみたいなぁ」って言っていたような気がします。
ただ、愛知県から四国へ行くのは結構遠いし、祖母もそれから色々とあったので、結局お遍路さんにはいけずじまいだったのかなと思います。
ということで、2つのことがリンクして
『なぜだか無性に四国へお遍路さんに行きたい理由は、過去の罪への贖罪のため』なのかな?って思いました。
他にも、以前、’四国’、’仏師’という言葉が聞こえたっていうこともあります。
また、このブログを始めてからですが、どこかでちゃんとした真言宗徒になりたい(バブテストみたいな)って思うようになりました。
本当は仏門に入ることに憧れがあるのですが、結婚してますし、夫も仏教徒と言えど外国人なので、日本的な宗派のような概念は理解ができないようで、説明してもなかなか難しいです・・
っと話がずれてしまいました
今はカナダに住んでいるので、ますます四国は物理的に遠くなってしまいましたが、いつかお遍路さんに行くことで少し何かが変わるような気がします。
夢が1つまたできました。
いつか四国へお遍路さんに行きたいです