Kindleで密教の漫画を読んでいたら、お稲荷さんのことが描いてあって、その回ではお坊さんが問題を解決すべく色々試みるんです。
それを読みながら(いいなあ。自分はカナダに住んで、在家で、これ以上独自に何ができるかわからない、、)と思うと涙が出てきました。行き詰まりを感じているのは本当だけど、感情が高ぶったわけではないのでなぜだか流れ落ちる涙に戸惑う。
漫画のお坊さんたちはまさに目指したい祈祷行者の方たちで、その後は食い入るように読みました。
“今世は(修行しなくて)もういいじゃないか”なんて夢うつつで言われたりすることもあるのですが、納得できない。したくない、、、諦めの悪いわたしです。
わたしは多分、もしかすると、いつかの前世でやった続きがしたいのかもしれない。そんなことを考えながら過ごした1日。
そんなことがあったからでしょうか。
明け方、こんなものが見えました。
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目の右上当たりに白い扉が現れ、
ん?と見ると、扉がゆっくり手前側に開き、
二本足で立った白いキツネが現れる。
目の周りに赤い歌舞伎の隈取りのようなものをしている。
そーっとこっちを見ている。やや見下ろしている感じ。
様子を見に来た感じ。
(ん?これって?お稲荷さん?)
昼出た疑問をぶつけたかったけど、キツネさんて仏教なのか?と一瞬考えてしまった私は、なぜだか次の瞬間に、
(目の周りの赤いのって何?)と思った。
キツネ: 化粧
(化粧?)
キツネ:正装だ
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こちらは起き上がる寸前。
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田舎っぽい感じの駅
白地にオレンジっぽい看板
フォーカスすると
漢字で”菅田”
すが、、た?だ?
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わたし、伏見稲荷で本当に何らかのご縁ができたのかもしれません。
何をどうしたら良いかはわからないし、聞きたいことがあるのに、なぜだかトンチンカンなことを心の中で思ってしまったら、そのまま会話になってしまいました。
思っただけで会話になるなんて聞いてない〜!
ということは、心の中の声(=思考)にも気をつけなきゃいけないんだなと。
様子を見に来てくれたような感じが何となく気にかけてくれているというか、言葉にするならなんだか家庭訪問のようなかんじで嬉しくなりました。
ドアはどこでもドアみたいな感じでしょうか。ふふ
駅のことはよくわかりません。
先にみえたキツネさんと繋がりがあるのかもないのかもわかりませんし、見えたところで頭の中で????となって終わることはとても多いです。