私の人生ひまつぶしです。
毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。
信じるように
なった
ゴッドはグッド・神は善
AAにつながる前、私は自分の誤りを認めることのできない男だったし、認めるつもりもなかった。私のプライドが許さなかったのだが、そのくせ自分を恥じていた。正反対の心が闘っていた。私のような弱い人間にとって、神が私に要求している行動は高尚すぎると思えたので、自分の人生から神を締め出してしまった。神は誤りをゆるさない。正しくてよいことだけ
を求めると考えていた。あの放蕩息子の物語の教訓がわからなかった。
どうせ無駄だからと努力することをやめた。そのことに罪悪感を持った。しばらくはアル
コールが罪悪感を隠してくれたが、やがてアルコールは私の罪悪感のいちばん大きな原因となった。私が敗北を認めることができたのは、身も心も感情もペシャンコにされ、細胞がすっかりたたきのめされたからだった。けれど、認めるだけではまだ足りなかった。状況はいっそう悪くなり、とうとう何もかも手放すことになってしまった。地獄の底で私は思わず叫んだ。
「神さま、助けてください!」。すると、神が私を迷路の出口が見える場所へ導き、歩く道を教えてくれる人たちのところへ送りこんでくれた。
今でこそ、そのことがわかる。けれど、あのころは神を拒んでいたし、祈りなんか信じないと言い張っていた。仲間の導きで、祈りをとおして神に話しかけられるようになるのには、まだまだ時間が必要だった。私はAAの集まりと、そこにくるAAの人たちを私のハイヤーパワーにしていた。その人たちは目の前に実際にいて、私が安心してそこにいられるように、愛と理解で歓迎してくれたから。だが、私の正義感は相変わらずゆがんだままで、神が私をゆるすはずはないと固く思いこんでいた。神という言葉を聞くたびに、罪悪感とやましさを感じた。
何か大きなものに結びつかなければと思ったのは、ようやく何もかもあきらめ、自分が病気
であることを認め、第一ステップを完全に受け入れる気になったときだった。この集まりを大きな何かにしているだけでは足りなかった(いまはAAを神の代用品にはしていない。AA はいつも私に神の存在を思いおこさせるけれど)。私は必要に迫られて信じるようになったのだ。
神への信頼を失わないために、根底から築きあげられた深い信仰だった。神は善だ。神が示される何もかもが私のためになると理解できた。けれどその理解を深め、自分を変えることを拒む心を消すのには時が必要だった。試練や苦難がなければ自分を手放すことはできない。プライドやエゴがとことんペシャンコにされたことを完全に受け入れて、ようやく勝利がはじまる。
私は手に入りやすい目標をたてるつもりはない。結婚すれば幸せな人生が始まるとはかぎらない。しらふになったからといって、ユートピアで暮らしているとはいえない。神は毎日、新しい課題を私に与えてくださる。幸せもあるし、苦しみもある。ともすれば幸せは自己満足になり、苦しみは自己れんびんにかわる。だがそんなぜいたくを楽しむ余裕は私にはない。苦しみを切り抜けようとしているとき、私は苦しみを善いこととして簡単に受け入れられる人間で
はないけれど、このように書くことができていることが、神は善であるという私の信仰の論理
あか的な証しである。
これは個人的な体験から得た意見にすぎないが、人はスピリチュアル(霊的)な成長によってスピリチュアルな豊かさに恵まれる。私が神を受け入れれば、神は私に多くを与えてくださる。受けたことに感謝すれば、感謝をあらわすための努力ができる。私のなかで、あるがままの人生を幸せだと感じる力は、自分でおどろくほど強くなった。だからこそ、時の流れにまか
せて、仲間たち、神、こうして内なる自分自身と、おだやかに日々をすごすことができる。
(ニューメキシコ州 デミング)
ポイント
1. 信じる前の状態:
プライドが高く誤りを認められず、神を「誤りを許さない存在」と捉えて締め出し、アルコールで罪悪感を隠すも、次第にアルコールが罪悪感の原因となる。
2. 転機:
身も心も壊れ、地獄の底で「神さま、助けてください」と叫ぶと、AAの仲間たちのもとへ導かれる。当初はAA自体を「より大きな力(ハイヤーパワー)」としていた。
3. 信仰の深化:
第一ステップを受け入れ、病気であることを認めた後に、AAを神の代用品とせず、「神は善であり、すべてが自分のためになる」と理解するようになる。
4. 現在の姿:
神が日々新しい課題を与え、幸せと苦しみがあるものの、霊的な成長で豊かさを得て、時の流れに任せて穏やかに日々を過ごせるようになった。
解説
この文章は、一人のアルコール依存症者が神や「より大きな力」を拒んでいた状態から、苦しみを経て受け入れ、信仰を深めていく過程を描いています。
「放蕩息子の物語」とは聖書のパラブルで、過ちを犯しても親(神)は受け入れてくれることを示し、当初はこの教訓が理解できていませんでした。
「第一ステップ」とは「自分たちはアルコールに打ち負かされ、自分たちの生活が手に負えなくなったことを認めた」というAAの基本ステップで、これを受け入れることが信仰のスタートとなっています。
「神は善」という認識は、試練や苦難も含めてすべてに意味があり、成長につながるという考え方です。
考察
この体験談は、「信仰は決して簡単に得られるものではなく、苦しみや自己認識を経て徐々に深まる」ことを示しています。
現代社会では「神」や「霊的なもの」に対して否定的な意見も多いですが、ここでは「個人が受け入れやすい形で『より大きな力』とつながることで、心の安定や生きがいが得られる」というAAの理念が表れています。
また、「幸せが自己満足に、苦しみが自己憐憫になることもある」という点は、霊的な成長が継続的な努力を必要とすることを示し、安易な目標設定ではなく、ありのままの人生を受け入れる重要性を説いています。
内省のヒント
- 自分は「何か大きなもの」とつながることで、心の安定を得た経験はありますか?(宗教的なものだけでなく、自然やコミュニティなどでも可)
- 過去に「自分が間違っている」と認めることができず、苦しんだ経験はありますか?
どのようにして受け入れるようになりましたか?
- 「苦しみも何らかの意味を持つ」と考えることで、困難な状況に対する自分の考え方が変わったことはありますか?
自身が何か困難な状況を乗り越えた後に、「あのときの苦しみは必要だった」と感じるようになった経験はありますか?
そのとき、何か大きなものとつながったような実感はありましたか?
第8章
私たちが言っている「ハイヤーパワー」とか、「自分なりに理解する神」という考え方は、それぞれの信仰や信仰生活を何ら制約するものではない。
(ビル・W)
AAグレープバイン
一九六一年四月号

