シェイクスピアの由美先生のおかげで、シェイクスピアの朗読会に入会した。これが最初のシェイクスピアの学びだった。その時はシェイクスピアロマンス劇の「冬物語」を小田島雄志訳の本でやってみた。

 

 由美先生はプロの演劇家なのでそのせいか、朗読会というより朗読劇だった。私は熱を込めてセリフを読んだ。

 

 シェイクスピアの作品はときどき長いセリフがある。四百年以上前なので、現代劇とは違う。長い長いセリフ、しかし飽きない。長いセリフを一生懸命に読むと、何だか胸が熱くなる。シェイクスピアの言葉はどれも飽きない。シェイクスピアの言葉はいつまでも新鮮なのだ。

 

 シェイクスピア文学は四百年以上前なので、迷信とか謎の習慣とか、中世ヨーロッパの文化が色濃くでている。その謎めいたところが現代人にとってまた更なる新鮮さを呼び起こす。

 

 シェイクスピアは古くならない。なぜなのかはシェイクスピアの世界に入って数年経っても全部は説明できない。なんていうか、言葉に柔軟性があるとか、意外と下品だったりとかして面白い。今の私の周りはシェイクスピアを研究して何十年という先輩ばかりなので、ここで断言しては申し訳ない。

 

 当時重度のPTSDになっていた私にとってシェイクスピアの言葉はまさに光だった。後になってある英文学者曰く、シェイクスピアと聖書は英文の世界では同等の扱いだそうだ。シェイクスピアを学び始めた私、後に聖書も活躍することになる。