24時間テレビ40 「告白」より
◆櫻井翔の亡き祖父は新聞記者
櫻井翔くんの亡き祖父 桜井三男記者はパプア・ニューギニアに取材に行く前、一人の読者から「現地に埋めてください」と手紙を託され、三男さんは記者の仕事ではないと思いながらも手紙を預かり墓標に添えていました。(おそらく現地に眠っている兄の妹だった。)
桜井三男さんの兄が26歳の若さで海戦にて戦死したこと。しかし遺骨や最期の様子も知ることはできなかったこと、そんな取材への想いが三男さんが亡くなる3年前に執筆した著書「紋様」に綴られていました。
新聞記者だった櫻井翔くんの亡き祖父 桜井三男さんの著書 ※一部抜粋
「紋様」
人生は人それぞれが描く紋様だ、といった人がいる。
戦いの果てにその紋様を描き得ずして散った多くの若者の無念さに思いをいたし
平和裏に生き永らえた自身の紋様を本にした 読むに堪える紋様であってほしい
桜井三男
三男さんが戦争を知らない世代にも思いを伝えようと著した著書は…
平和への想いは…
桜井三男さんは2006年 4月に死去。
その半年後の10月、櫻井翔くんはNEWS ZEROのキャスターに就任。
世代を超え〜つながれていく想い〜
櫻井翔
東京大空襲・戦災資料センター、広島・原爆資料館、ハワイ・真珠湾など戦争に関する取材を行ってきた中で 2015年、依然として約8万人の遺骨が眠っているパプア・ニューギニアを訪れた際には遺骨収集を手伝いました。
「櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」より
太平洋戦争中、ニューギニアは激戦地として知られていた。現地での戦闘を体験した方によると約14万人が戦い、13万人が死亡。その内死因の65%は餓死だったという。群馬県からも多くの兵士が送られ約1万人が命を落としました。
翔くんは“パイロットの墓場”と言われた激戦地 パプアニューギニアのラバウルへの取材で 最前線で戦い続けた若者達が経験した過酷な現実を伝えていました。 戦後 パプアニューギニアで遺族による遺体収集が行われており、その取材をする新聞記者の中に 祖父の桜井三男さんが現地で取材を行っていたという…
(約一カ月で8800体の遺骨収集ができたという記録 当時の三男さんの記事には生々しく残っている残骸についても綴っていました。)
翔くんは上毛新聞記者だった祖父・桜井三男さんが現地で、48年前に遺骨収集の取材をしていたことをその時に知る…
私はこの番組をみて、過去を学んで今を知ることで、あたりまえになっている平和の尊さや、この国の未来を色々と考えることが出来ました。きっと 翔くんが出ていない番組だったら観てなかったと思います。
(未来を担う子供達にどう伝えていくのか)
記事の櫻井翔の「伝える」とはの告白をきいて…
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時代は巡り 時間は流れても 世代を超えて 伝えることが出来る。
(私も「伝える」職業ですが あらためて確信しました)
「僕じゃないと伝えられないことがある、僕じゃないと届けられない方々がいる。」
平和に生きている我々は、今をどう生きるべきなのか、問いかけるきっかけを与えてくれる。私にとって それが 櫻井翔という存在です。
翔くんが、VTR開けに
「祖父が生きていたら、どのように取材して、まぁどんな取材の仕方したら
よかったのかな。なんてのを、聞けたらな。なんて思うこともあります」
よかったのかな。なんてのを、聞けたらな。なんて思うこともあります」
(私の亡き祖父も「伝える」職業でした)
今、直接聞きたいこと 沢山ありますが、 祖父が遺してくれた 資料や映像や写真で 当時の想いに 触れることが出来て、仕事の悩みなど 壁にぶつかった時などは祖父だったらこうしたかなぁ?なんて思うことで また 勇気をもらい 前に進めたりします。
(私は、何をもって“抑止力”と口にするのか)