(ロシア病院)
大日本帝国海軍 第三火薬廠 朝来工場 砲熕谷22と
言われている建物。
一部のひとから「ロシア病院」と言われている。
しかし過去に病院だったことはない。
舞鶴鎮守府が置かれていた砲炸薬成型などの跡地。
炸薬というのは旧日本軍の用語で、魚雷とか地雷を作る際に使われていた火薬の種類の一種。
その火薬を成型する工場だったそうです。
第三火薬廠はは当時日本海軍が、使用していた
火薬の2/3を製造していた重要な場所だそうです。
「爆薬庫跡」
「砲作薬成型工場」
を見学します。
「爆薬庫跡地」
防爆土塁で遮っています。
倉庫の中は水がまたっていました。
外の風景が水に映っています。
392は進駐軍に割り振られた数字です。
壁は迷彩柄だったようです。
何となく残ってますね。
「粉薬一時置き場」
394の番号は敗戦後に進駐軍に接収された時に
割り当てられた数字だそうです。
この番号は占領された象徴ですね。
竹が綺麗に刈り取られています。
以前は鬱蒼とした竹林が廃墟感を醸し出して
いましたが、スッキリしてしました。
以前の怪しい雰囲気がなくなりました。
片面だけが開けた構造になっています。
爆破事故を想定したもので、爆風を一方向に逃して
建物の崩壊を防ぐ構造になっています。
※落書きが残念です。