2年生と3年生およそ80人に見せた男性教諭は『時事ニュースに関心を持って貰いたかった』と話していますが、さくらし教育委員会は『不適切な対応』だったとして謝罪しています。
また下村文部科学大臣も『発達段階に応じた教育における指導のあり方はある』……
『教育現場でそういう配慮がなされないのは、あるまじきことだと思う』と、死体フルオープンノーカットを批判しました。
しかし、テロリストに殺されなくても、人間誰しも死ぬもの。英語のmortalって単語は『死ぬべきもの』を意味し、転じて『人間』を表す意味もあるとか。
文科省は、今後、道徳教育を強化するとか。それなら、人間の『死』について考えさせなければ、道徳の根幹が固められないはず。
単に『みんなで仲良く』なんてことばかり言ってると、お花畑のノータリンアホ左翼が大量生産されてしまいます。
仲良くしたくても出来ない、不条理で残酷な世界もあることを教えるのも教育でしょう。
そう言えば、オヤジがガキの頃の子供話ってブラックでしたよね。例えば、『カチカチ山』なんか婆さん殺して、たぬき汁にして食べちゃう話しだし、『赤ずきん』もオオカミが婆さんを食べて、皮を剥いで婆さんに化けるって、ほとんどスプラッター映画の世界……
現在では、このような本当の子供話はなくなってしまったとか。
『死』の恐怖を教えるのも、また教育でしょう。昨今の殺人犯にも、死体を生き返らそうとしたとか言ってたのもいましたっけ。
コンピューターゲームが一般的になって、ゲームの世界では何度死んでもリセットで、やり直しできます。殺人犯にも、そんなゲーム感覚が侵入してきたように思えるのですが。
都合悪いこと、面倒なものは、何でも子供から取り上げ、隠してしまおうって考えはオヤジがガキの頃からの文部科学省、教育委員会の習性。
後藤氏の死体がダメで、発達段階に応じた配慮が必要なら、いつから『死』の教育を始めるんでしょう?