当時、漱石の同僚だった猪飼建彦氏の子孫が、和歌山県で保管していたものとのこと。保管していたのは、松田智子氏で猪飼建彦氏は曽祖父にあたるそうです。
手紙は、猪飼氏が熊本に向かう漱石に別れの挨拶に訪ねたが会えなかったことを手紙にしたためたところ、漱石から返礼として送られたもの。
また、未発表の俳句『死にもせで、西へいくなり花曇』、『花の朝、歌よむ人の便り哉』も見つかりました。
猪飼氏とは、その後も年賀状のやり取りが続きましたが、周囲には漱石との交流を全く話さなかったとのこと。
専門家も、親しい仲で文芸的な価値あるやり取りが伺われる貴重な資料としています。
夏目漱石と正岡子規の交流は良く知られていますが、松山時代に、他にも文芸的に親しくしていた友人がいたのは、新発見ですが、ちょっと奇異な感じも。
和歌山県立博物館で来月18日まで公開しているとのことです。