ある人がいて、お金持ちの家に産まれて、
(使用人とかいて、まわりは自分をたてるものだという環境だったのかも)お金持ちの家に嫁いで、こどもも一流大学でてっていう人、でも、他人が自分にこうしてくれない、とか毎日のように不平不満を言っている人がいました。
また、別の人で、優秀な人なんだけど、
しょっちゅう人の批判して、本人にも言ってしまったりして、相手も嫌な気分になってっていうことをよくやっている人がいました。
この人たち、幸せって感じることが少ないんだろうな

と思ってしまいました。
こんなことなどから、お金があることや能力があることが「高慢」につながってしまうと、幸せと違う方向に行きやすいのでは
と感じました。
思い返してみれば、私も昔、ピアノコンクールに入賞してたりした頃、どこか自分の力だけでできてるような、できない人はなんでもっと頑張らないの?みたいな気持ちがあったような気がします

ピアノができる環境に感謝するとか、たくさん練習できる健康な体が与えられてることに感謝するとか、良い先生に恵まれていることに感謝するとか、そういう気持ちが少なかったと思う


けれど、それからかなり経ってから、体をこわしたりして、徹底的に「できない自分」ていうのと向かい合わざるをえないことになった。
しか~し

そのときは辛かったけど、これが、大きな恵みだったんですね

できない自分でも、神様は、良しとして愛されてることがわかった

弱い人、苦しむ人の気持ちも前よりわかるようになり、また、そういう人たちも、かけがえのない存在なんだってわかった

自分、自分じゃなくて、神様から与えられる食事とか、家族とか、いろんなことに感謝の気持ちがわくようになった

結局、自分の力でいろいろできてると思っていた頃より、幸せに生きれるようになったんです

謙遜の大事さもわかった

例えば有名人だと、渡部和子さんとか、皇室の美智子さまとか、聖なる人間的魅力を感じるのですが、あの方たちも大変な時期を過ごされて、今があるんですよね。
辛い時期とか、思うようにできない、一度砕かれるような時期は、人間としての魅力につながることも多いのかもしれない。
そう思うと、本当に無駄なことってないし、神様のはからいも人間の考えをはるかに超えたところにあるんだな~と畏敬の念を感じます
