誰か色に染まる なんてやだ | 人間でいたい

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愛と平和


なんか今日、めちゃくちゃ元気。

昨日、眠る前に泣いてしまったのと

矢継ぎ早に色んな内容の夢をみるような夜だったから、今日はダメかななんて思ってたけど出社したら元気になった。この天邪鬼が…


自分が元気で健全だと、

拠り所にしている音楽が自分から遠ざかっていくような寂しさを感じることがある。

だからそういう日は、

いつもより背筋を伸ばして、

自分が周りにできることはないかとか、やれることはないだろうか、とか

そういうことを考えて過ごすことにしている。

元気キャンペーンってやつだ。


最近、通勤前の朝支度をする時に

Andy ShaufをYouTubeで流している。





朝から元気になりすぎる音楽を聴くのは精神衛生上よくないが、

暗い曲を聴くにはしんどい、みたいな時に丁度いい心地良さ。


通勤中にも続けて聴きたい気持ちに後ろ髪をひかれながらテレビを消して、家を出て、耳へイヤホンを突っ込んでまた違う音楽を聴く。

憂うつな朝、異国や異世界の風景が膜を張ってくれている気がする。

だからこういう時間は、家の外に持ち出さないほうがいい。


今日は木曜日だから、

ゆるめるモ!の「木曜アティチュード」を再生する愚直さで乗り切ることを決意。



そこから虎よ、おこしてしまった?、manual of 東京 girl 現代史、の順で再生。

すると、高校生の頃の記憶へするするとリンクしていって、こんなこと考えながら過ごしてたなあと、通学帰りの駐輪場で「こつんと死」へアクセスしていた時のことなんかを思い出した。

こちらを見ていた未来の私って、今日のことだったんだなぁ。


誰か色に染まるなんてやだ、って思いながら生きてたなって思うけど

多分それは今も変わらない。

変わらないのに、置いてけぼりみたいな気持ちになっちゃった。

あの時、思い描いていた優しさも正しさも、今、持ち合わせているのかな。

分からない。ただ、いけにえを見つけた時に誰かと一緒に嘲笑っている午後の風景がぼんやりと遠くなる。

今はただ、時にはみ出しながら、時に擦り寄りながら、そうやって誰かと一緒に生きていける人が羨ましくて仕方がない。