いろんなKEN Q -4ページ目

しとしんたい!


DVDでちゃった!
はやくおすすめしたい、ウルトラミラクルラブストーリー。
そのために、横浜聡子監督が参考にしたという本で勉強中。
いま読んでいるのが内田樹の「死と身体」である。
 死と身体 と大きく書かれていて、サイズもちょっと大きめのこの本を持ち歩いている女子はあんまりかわいくないなーと思いながら、おもしろいので止まりません。

「死と身体」ってなんかごついタイトルだけれど、がちがちではない。
なにせ内田さんの本はとても読みやすい。ちょっとむずかしいことをとてもわかりやすく教えてくれる。止まって何回も読まないとすんとこないところも多くあるけどね。

逆に、著書が難解極まりないことで知られるジャック・ラカン先生(1900年代フランスの精神分析家)の原文なんて、脳みその毛細血管をたくさん切って、シナプスぶちぶちフル稼働させても理解できないんだろうなーと思う。

けど、読みやすい。っていうのもいいことだけじゃない。
読みやすいことは入ってきやすいから、すぐに忘れちゃう。理解したつもりになっちゃうのだ。
ちょうど簡単に手にはいったものは大切にしないのと一緒。
うーんと悩んでその時わからなくて、あとでハッとすることのほうが記憶に残る ようなこと。
ハッとして嬉しかったり、驚いたりすると感情がともなって記憶が強固になるのも理由だろう。

そしてこのわかりやすい本には、まさにそんなことが書かれているというアイロニカルな一面が。笑
ラカンの著書が難しくて意味わかんないのは、明白な意図があるという。←ラカン本人が言っている。
内田さんの言葉を借りれば、

ラカンは「理解できた」と思いこむ人間よりも「誤解」したのではないかという不安に駆られる人間のほうが、コミュニケーションにおいて本質的な経験をするだろうと述べているのである。
内田樹 死と身体より

ということ。つまりわかりやすい本を読んで、理解できた気になっている私は本質的なコミュニケーションの経験ができていないということ。たしかに。構造主義を説明しろって言われてもできないわけだ。わかりやすい文章がいけないのではなくて、読む側のスタンスが大切ということです。いくら本読んでも、たれながしでは環境汚染。きをつけよう


青山真治②


つづきだよ



●サッドヴァケイションは、オープニングから衝撃体験だった。ジョニー・サンダースのsad vacationとともに映し出される海岸線、空からの町並み。俯瞰フェチの私の心は激しく動揺。そして、中国語ラップにモンゴルの口笛(ジョーズハープ)と圧巻のエンディング!
全編にわたって音楽にやられ続けました。この音楽を担当したのが長嶌寛幸。10歳からテープレコーダーとシンセサイザーを使って独学で作曲を学んだ という。笑
これはすごい。音楽をやっている人はどうかわからないけど、私が10歳のときはシンセサイザーって聞いても炭酸飲料だと思ったにちがいない。また、長嶌さんは映画の音響を手掛けながらライヴ活動もしているらしい。

うまく音楽でまとめようと思っても無理なので、以下観た作品の音楽についてのおぼえがき的なもの。

●シェイディーグローブ(1999)のARATAが車を走らせるシーンと軒下のならずものみたいに(2003)の秋彦がカレーを食べるシーンはただ、運転する、食事をする、っていうシーンが音楽によって おお、おお!ってなる。正直、違和を感じないでもないから好悪は分かれると思う。ただ私は、なんでもない日常に溶け込んだ行為をおおげさに描ことに好感をいだいたし、淡々と流れる物語がここでもりあがっちゃうか!ていうのがおもしろいと思った。

●ユリイカが3時間30分あっても飽きずに、むしろもうおわっちゃうの!というくらいに心地よかったのはアンビエントな音の効果だと思う。海のシーンで聞こえてくるジム・オルークのユリイカは言うまでもないが、全体として静かなだけにひとつひとつの音が音楽。とかいったらかっこいいけど、ジョン・ケージが言った「すべての音は音楽である」という言葉がまさに体現されていると思った。
それだけに、「大阪ハムレット」(光石富士朗監督)を観たときに(ストーリーもこの映画も好きなんだけど)離れていく弟の声の大きさがかわらないっていうのが気持ち悪くて集中できないシーンがあった。無意識のうちに、音によって見える映像に変化が与えられているし、心地いいか否かは音によっている部分も大きいと思った。

●エリエリレマサバクタニはいままで観た青山作品で一番よくわからなかった。エンターテイメントとしての映画を離れて、何か思想を観るべき映画だと思った。
タイトルはヘブライ語で「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」というキリストがはりつけになったときに言ったことば。しかし、この映画にはギャビン・ブライアーズのJesus' Blood Never Failed Me Yet(イエスの血は決して私を見捨てないだろう)という曲がアイロニカルに使用されているのだ。また、排除される側のノイズが(ここでは広義であるが、映画はノイズミュージックのこと)人の命を救うというアイロニーもある。(ノイズ文化論講義/宮沢章夫/2007白夜書房)
ほかの作品の魅力を知っているだけに、手放しにつまらないと言ってしまいたくないな、と観たあとの気づきを得て思った作品。解釈は如何様にも見る側で変わる、想像の余地が多分に残されているということ。この映画について考えると、今のおとなりさんのリフォームの音で目覚める生活も悪くないかな と思う。Merzbowがベランダに常駐していると思うといいもの。いや、よくないや。





きっとまだ続きます。

青山真治①


あやうく3日坊主未満になるとこでした
飽き性はこれだから困るね 

しかもついついかっこつけてアカデミックなかんじ出したくなって、もう訳がわからない
ので、駆使するだけの知識はないことをここで認めといて、わかることを書く。

反省を反省した言葉でSAYして制する君のノウナイ!

ということで邦画のよさに鳥肌を立たせてくれた青山真治監督について。
でもso farです。青山作品についてはまだまだ見たいもの見れていないものたくさんあるので
まだ表面をすくってなめた程度の理解なのです。あしからず

●彼の作品についてまず気づくのは、映画に自身のフェチが如実に表れていること。自分の嗜好との距離感がすごく近い。それは、中上健次であったりノイズミュージック(に限らず音楽)であったりするんだけど、その表現が暗喩ではなく直喩または、ほとんど直喩なのだ。

「AA」(2006)は70年代の音楽に多大な影響を与えた、夭折の音楽批評家 間章(あいだあきら)の長編ドキュメンタリーだし、「エリエリレマサバクタニ」(2005)は中原昌也が俳優として演技したり、ノイズをがんがんに押し出した、実験的な映画。
「路地へ_中上健次の残したフィルム」(2000)はタイトルにも入っているが、監督が強く影響を受けた作家、中上健次が作品の舞台とした和歌山県新宮市の消えゆく路地を16ミリで収めたもの。また、「Helpless」(1996)「EURIKA」(2000)「sad vacation」(2007)の一連の作品は北九州サーガと呼ばれ、中上健次の秋幸3部作ともいろんな点でリンクしている。

大友良英の言葉を借りれば、

ちょうど道をあるきながらヘッドフォンで聴く音楽をチョイスするような意味はあってもそれが万人に共通する感覚ってのとはちょっとちがうように。たまたまその映像が選択され、たまたまその音楽が選ばれた、そこに別に答えはないけれど、見る人が自由に答えを考えればいい・・みたいな。

大友さんはこれを青山監督の映画音楽全般について言っているけれど、映画音楽全般というより青山監督の映画そのものに対しても言えると思う。

、、音楽について、つづきます。