○***〜季節の桃便り〜***○ -2ページ目

○***〜季節の桃便り〜***○

北海道に産まれ

自然と美味しいものがとにかく大好きです。


四季折々の季節の中で感じたことを


私なりの視点で皆様にお届けできれば


この上なく幸せです*


宜しくお願いします(^ν^)

十字架に感謝できるようになったから
今のわたしがいる。これも含めてわたしの成分の一部なんだと思えるようになったからこそ、チャレンジしたい。
そしたら疑問が湧いてきた。もっとこうしたらいいんじゃない?
こんなのがあってもいいんじゃない?
でも、ないんだよね。ないならつくるしかない。

最初はわたしにできるのかどうか不安だったし、まさか自分が起業したいなんて思う日がくるなんて思っていませんでした。

それは一冊のビジネス書からはじまり
ビジネスを教えて下さる先生と
心やあり方を教えて下さる先生に出会い
そんな先生方に出会ったのも、自身が集う勉強会、コミニュティーの中からでした。

わたしがわたしらしくいられる場所があったからこそ、今の時代そういう場所や繋がりが本当に大切だと思ったし、何かをつくりたいと思いました。


事故から13年経った今、
わたしは新たな取り組みに目を向け勉強しはじめています。



介護の仕事をしているとね、すごく考える。人の生と死をみているといつもここにぶちあたってきた。
今も、今日現在も疑問を持ってきた言葉がある。



「人間の尊厳と自由」
っていったいなんなんだろうってね。

もっというと「尊厳死」とかね。

そんなことを日々考えながら仕事してると思ったんだよね。

そのひとがその人らしくいられる場所をつくりたい。
まだまだ介護に先入観をもってるひと、必要だと感じながら必要じゃないと思っている人、
アンチ介護なおばあちゃん、おじいちゃんがたくさんいる。

介護拒否があるからダメとかじゃないんだよね。本来それでいいはずなんだ。それが自然。
だって人間なんだもん。

でも、この業界、施設などでは介護者が拒否があると判断した場合
「介護拒否あり」なんてレッテルを貼られたりもする。


逆に言えばそれだけ、元気な証拠なんだよね。
まだ、自分の中の何かを信じて頑張りたいんだよね。じゃあ、その力ってさ、もしかしたらこんしんのパワーかもしれないんだよね。それってのは介護予備軍と言われる人のほうがはるかに強いと思う。だってまだ人の世話にはなりたくないんだよっていう頑張るあなたの考えは間違ってはいないよ。


アンチなパワーをらしさに変える場所。
繋がり。そして体験。この3つ。


そこにいるのが当たり前じゃなくて
そこにいるあなたがかっこいい!!



人生の最後に潤いと生き甲斐を。
例えどんな姿になっても、どんなにしわくちゃになっても
最後まであなたらしくいて欲しいから。




あなたが最後まであなたらしくいられる
たくさんのエッセンスはブランド化することでより豊な価値が産まれる。そして、その価値を共有できる場所がある。体験がある。
そしてきっとあなたの人生と生活の一部になる。そんな場所をつくりたい。ワクワクな仕掛けと共に。そんな場所を自分でつくることができたら幸せだと思うんです。
わたし、やっぱり、最後まで人の喜ぶ顔や笑顔をみていたい。そしたらさ、やっぱりやるしかないんだよね。


でも、やるからにはね、ちゃんとご飯が食べていけるビジネスにする。
それが一番、お客様の信用と信頼につながると思うし、誰かがね、一生懸命汗水たらして稼いだお金や貯めたお金を使う価値がちゃんとお客様自身に見出してもらえるようなそんなお店を作りたいです。

まだ、まだ、駆け出しだけど、
その為に今、たくさんのアイデアに囲まれてプランをひねったりのばしたり組み立てていくことがとても楽しい。




人生は一度きりしかないんだよって


身を持って教えてくれた人がわたしにはいました。それがわたしの何よりの強みだと思っています。






ありがとうね。



おばあちゃん。



わたし、今、生きています。

















友人は言葉では上手く伝えられないからといって手紙を書いてきてくれたりと、失ったものの代わりにわたしは部屋に篭りながらも本当の友情を手に入れた。家族の絆も以前よりずっとずっと深くなっていた。

情報を手に入れたいだけの私利私欲の為だけの優しさや手段も見たけれど、
だけど、わたしはそれ以上にたくさんの目に見えない美しいものも得た。
人の優しさ、笑顔、あたたかさ、気使い
思いやり、温もり、夢や希望、友情、家族の絆も知った。

人間の汚い部分も
キレイな部分も両方見えた。

必ず良いことを言う人がいて悪いことを言う人がいる。

そういう人の上に社会は成り立っている。

だけど、誰だって自分をまもりたいことには変わりないし、自分の価値観や、自分の中にある正義を信じていたい。そういうものを軸にして皆生きていることは良いことを言う人も悪いことを言う人もみんな一緒で過程はどうあれそれぞれが幸せになる方法を探している。

だから二元論だけではかたずけられない何かがある。目に見えないもの。
それこそがきっと大切なことだと思うし、人が生涯を通してそこに枯渇しながらも永遠に求め続けたり、追いかけたりしているところなんじゃないかと
事故を起こしてそんなことに気がついたのでした。



良くも悪くもみんな一緒で多種多様だけど
どっかでちゃんと意味があるし全部つながっているんだよね。


その頃、私は裁判所に呼ばれ起訴されないことを告げられた。

6度目の月命日のお参りをして、相手家族から、あなたの誠意は本当に伝わりました。おばあちゃんも成仏しています。
これからは自分の人生を楽しく生きて幸せになって欲しいからもうここへお参りに来なくても大丈夫よ。ありがとう。



「ありがとう。幸せになってね。」


その意味を考えた。



わたしは自分の人生を二十歳で見つめなおすことになった。

世間一般で言えば二十歳は多分大人の仲間入りをして楽しくてまだ見ぬ将来にウキウキするような
そんなものだったのかも知れない。社会に対するもろもろを考えているようで
何も考えず、目に見えるものだけを見てその日、その日を生きていることがあたりまえで、わたしも自分が加害者になる前まではそうだった。ろくに生きる意味さえ考えずに生きていることが当たり前のような、寧ろそれらが当たり前かどうかすらも自分の中に問うことはなかった。なんとなく生きている。
二十歳ならそのほうがごく自然なのかも知れないとすら思った。

今までの自分の人生はなんだったのか
振り返りかえる必要のないところまでふりかえってみたりするくらい過去が近く感じられることもあった。


後日、私が青信号で直進していたことが証明された。

わたしは警察の供述調書最後の日に


介護の道に進むと決め、警察官と約束をした。

資格をとって介護の道に進むと言ったわたしを見て当時、事件を担当していた刑事さんは言った。

あなたは素直な人だから言わせて頂きますが
これはもらい事故で本当の被害者はあなた
だと私は思っています。

わたしにとっては被害者でも、加害者でもどっちでもいいんです。お互いの苦労がありますから。

そういうのが精一杯で
それ以上言葉がみつからなかった。



亡くなったおばあちゃんがデイサービスを利用していたこともあり、お参りする中でたくさんのデイで作った作品や写真を見せてもらっていた。


心がいっぱいこもった作品や笑顔いっぱいの写真をひとつひとつ手にとり見せてもらっているうちに自然と涙がぽろぽろこぼれた。

わたしがこの家族に恩を返すことはこの仕事しかないと思った。そして精一杯生きている姿を見せること。

おばあちゃんの分もわたしは生きようと思いました。

最初は罪を償うかのような気持ちではじまった介護の仕事。

人の人生をお預かりし、
たくさんの生と死をみつめお世話させて頂くことで

老いてこそなお
人生の最終ステージで一生懸命に輝く生きる力を見たとき、そこに生きる希望と喜びをみたときに、人間の持つ力の素晴らしさを感じ、どんな姿形になっても一人の人間として生きる姿をみたときに心が動き震え、支えたいと思った。
この仕事を心の底から誇りに思えるようになりました。そして楽しめるようになりました。

最初に抱いていた罪の意識の向こう側に立ってこの仕事を見てる自分がいることに気がついたとき、
本当にこの仕事の面白さを掴み語り楽しめるようになっていた。罪の意識から感謝できるようになっていた。事故の体験は忘れた訳ではない。けれど良い意味で忘れてはいけないことだと思えるようになった。人にこの体験を話せるようになったとき、この体験は傷はネガティブなものではなくて
わたしの源として変化していった。
































ビジネスの勉強や準備を始める前に

自分は「何故起業したいのか」について考えてみました。


私は二十歳になったと同時に会社からの帰宅途中、人身事故を起こしました。
相手は交差点で信号無視をして飛びだしてきたおばあちゃん。

亡くなりました。


警察に相手の信号無視であることが証明されたけれど、心の中ではずっと私が殺したと思っていました。今もそう思っています。

当時、その瞬間の映像は今でも色褪せることなくわたしの脳裏に焼き付いています。

二十歳になったばかりの私は成人とみなされ新聞に名前が乗り、どこから集まってきたかわからない報道陣やギャラリーにあっと言う間に囲まれ、テレビのニュースにも事故の映像と共に私の名前が加害者として乗りました。

亡くなったおばあちゃんのお孫さんさんとわたしの弟は同じ学校で同級生

息子さんは私の父と同じ職場の同僚でした。

二十歳にして全てが終わったと思いました。わたしだけならまだしも、家族も巻き込みとても辛く悲しい思いをさせてしまいました。

これまでの生活の全てが一瞬で変わりました。仕事も失い、免停になり、外に出るのが怖くて怖くてたまりませんでした。それでも警察の取り調べの為にバスに乗り数ヶ月通いました。狭い地域、みんなわたしのことを知っている。

外に出るとみんながわたしを見ているような気がしました。

相手の家族さんはまるで神様のような人達で、人を殺したわたしを一切責めずに
逆に本当に辛い思いをさせてしまって申し訳ないと頭を下げられてしまいました。

どうして?

どうして怒ってくれないんですか?

どうか、どうか、責めて下さいと
私はその場に泣き崩れました。

家族さんは言いました。

わたしにもあなたより少し年下だけど娘がいます。娘があなたと同じ状況になったら本当にかわいそうでたまらない。まだ若いのに心の傷をずっと抱えて生きていかなくちゃならないなんて、かわいそうで仕方ない。だからあなたを責めることなんてできない。と言われました。

人を殺したのに責められないなんて
わたしはいったいどうしたらいいんですか?
あたまがおかしくなりそうでした。

いっそのこと責めてくれたほうが
気が楽だと思いました。

わたしは結局、起訴されることも刑務所に入ることもなく。
罰金だけを払い
生かされることになった。

人を殺したのに命の値段たった50万。

たった50万だったけど、その値段で解決できるほど世間は甘くない。

どれくらいかわからないけど、お金を納めたあとの苦悩を家族と一緒に見つめることになった。まるで良くあるテレビドラマや小説の世界だった。

加害者家族と被害者家族。

かたや許すものがいて、それを許さないのが世間。

町内のあの人の職業も家族構成もわかるような狭い地域、わたしを含めた家族の誰もが外出することが嫌だった。今まで見えていなかったものが、わたしが事故を起こしたことによって見える景色は全てが変わり果てていた。
本当に生きにくい世界だった。
昨日まで、ウチに遊びに来ていた近所の人が来なくなり、今まで来なかった人が急に情報やウワサを聞きたくて、かわいそうなふりをしてやってくる。家の電話やチャイムが鳴るのが怖くてたまらなかった。


あることないこと近所にウワサは広がる。





弟がイジメにあったらどうしようとか
父は退職前の大切な時期だったし、
母は更年期に入ったばかりで情緒不安定ながらもわたしの前では不安な顔を一切見せずに部屋から一歩も出ないわたしの部屋の前に暖かいご飯のお膳に手紙を添えて置くことを一日たりとも辞めなかった。

お膳が冷たくなってもわたしが手をつけないことを知っていながら何日も何日も母はそれを辞めなかった。
近所の人に人殺しの娘と言われようが
わたしをまもろうとわたしがいる前では
絶対に泣かなかった。
でも、わたしは知っていた。わたしが寝たあとに泣いていたことも。
自転車で買い物に出かけるときも帽子を何度も深くかぶって外出していたことも。

あらゆるものから逃げたかった。
でも、逃げれないことも知った。

わたしがどこに行こうがなにをしようが
自分からは逃げらないことも知った。

でも、不思議とこんな状況でも何故か死にたいとは思わなかった。寧ろ、こんな状況でも生きたいと思っていた。

一瞬で人が死ぬ瞬間を見たからだと思った。

何度もその瞬間で目が覚める。

バスに揺られているとフロントガラスに虫がぶつかってくるでしょ?

勢いよくぶっかってきて一瞬で消える命。

あんな感じ。


命は本当に儚い。


まだ、若かったということもあったかも知れないけど、

どんなに食事を取らなくても一日一食どうにか食べてあとは飲み物さえ飲んでいれば身体はフラフラでも生きてられるし、どんなに夜が眠れなくても人は簡単には死なない。生きている限り、鈍くともちゃんと空腹も感じるし、眠気も感じる。移りゆく四季だって感じる。

どういうわけか死んだら終わりだって言うことは頭の中にちゃんとインプットされていたおかげで

確かに食欲もなかったけれど、自分が食べられる範囲で食べることをわたしは諦めなかったし、眠れなくても寝れるときに寝ればいいやと思っていた。

わたしの中にもまもりたいものがあったからだと思う。
苦悩を共にしてきた家族。頼んでもいないのに
仕事や大学、専門学校の帰りに毎日代わる代わる来ては酒とタバコを持ってきて、アルミホイルにクルマれだけの、くそマズイ手作りのチョコレートケーキを作ってきて、くだらない話しばかりして帰る6人の友人達。

○次回に続く○