もやもや002
保存したいと思うことは保守的なことなのだろうか。
私は常に前進的でありたいし、活発に行動したい。
保存という選択肢を確立させつつあるということは、創造からの逃げであるのか。保存する行為を率先して、ときに攻撃的に行うこともゼンシンだと思っていたことは実は 思い込んでいた の間違いかもしれない。ここで肯定するために一度否定を認知、つまり否定を肯定した上で肯定を肯定したことになるという発想は義務教育の恩恵であるのだが、いま、そのおかげで見事に私は自身の意見をうまく認められずにいる。好きなことを好きと断言するのにいちいち自分に証明をしなくてはならないとはなんて情けないのだろう。しかし、直感もまた経験の賜物であると信じる私はこの発想を根底から否定していくことも儘ならないのである。
万物は流転する。私の保存という意識はそれに抗うという思いではない。不変も変化の一部だと感じるのだ。古いから価値があるという意識は非常に醜い。過去に魅力を感じるというよりもそのもの自体に惹かれていく。それを守りたい(伝えたい)と思うのだ。
財産相続という概念は非常に汚らわしい人間の思想のひとつだあり、後世に残されるのは物質ではなく知恵のみという考えもまた私の信念であるが、この大きなパラドックスを前に私は今立ち往生している。
いずれにしてもこれは冷凍庫の奥に保存しておこう。
今日は孤独な彼と久しぶりにナチュラルな会話が出来たので少し浮かれ気味だ
もやもや001
おたふく風邪疑惑をかけられる。
顔が丸いだけですよ ししょう
理解したい人がいる。
一人を理解するのには複数の視点と膨大な知識と客観的精神、それから共有しあう時間が必須であろう。(共有する時間が口実なのかどうかは自分にも分かりかねる)
それは一人の、私という人間に可能なことなのだろうか。いや、やりたいからやるだけなのだが。
結果として多数の人間と交流し、書物を読み、経験へと変換していく必要があるだろう。
そこで、選ぶ側の人間には為れない性分だとつくづく思う。
人の言動で一喜一憂してしまう質に抗うよりも折り合いをつけていく方がはるかにエネルギーを使わずに済む。しかし本当は平気な気持ちで生き抜きたい。
あの書庫の本はとりあえずざっと目を通しておく必要があるだろう。
もっと可憐に生きたいです。
眠い、だるい、頭痛い
外国に行けだとか、行きたいだとか話は尽きないが まずは、勉強しなくては。
無知のままではいけない。
なぜならつまらないからだ。
まだ、カッターの使い方もろくに知らない私は呆れられる。
だが、それが問題ではない。人に評価されるような心配は、今は、必要ない。
知識の量を求めてるわけではない。
知ることで考える
考えることで発見する
それは楽しいのだ。
理解するために勉強するのだ。
それを知った今年の冬は、きっと あまり寒くない。
感覚を研ぎ澄ませる
手を動かすのだ。
今やるべきこと
まずは、病院で会計を済ませるべし