萌えるゴミの日 -2ページ目

出先にて

東京ビックサイトにて行われたGIFT SHOWに参入。

かなり規模が大きくとても一日では(まして今回のように1時間では)回りきれない。なにしろ2400社以上の出展会。楽しくないわけがない。


そして財布を失くした。

案外醒めているものであった。衝撃がでかかったのか。

諦めはつけられるものの精神的になかなかくるものだった。

おかげでテオ・ヤンセン展に行ったにもかかわらず触手がピクリともしなかった。かなり興味深い内容ものも日常における金銭感覚に敗北したようで そんな理由から醒めていたのかもしれない。

どちらにせよ自分の内面よりか周りに対する焦燥感(これは当たり前の感情であるし今日に限ったことではない)が印象的だった。年齢面でいえば明らかに自分は若いがそういう焦りではない。経験から来る厚みではなく、そこから得るための自身の性質、あるいは土台が問題なのだ。今はそれを経験すればいいだろう。やはり意識の問題である。

東京にて

東京。

恐ろしく星の見えない街だ と地元に帰って認識していた。

一度距離をおくことで知ることは多いだろう。必要なものかと問われれば知ったことではないが。


ボスはなんて穏やかなのだろう。

否定というものをまるでしない。しなやかで、否、賢明故のしなやかさ。違う。彼は、確かにしなやかで親しみにあふれていて、吸収してしまうスマートさを。これも違う。なにか、大事な部分が欠けている説明だ!私はししょうを誰かに説明するときとても困窮する。的を射てない説明な気がしてならないし、しかし欠けてはならない説明もきちんと話してはいる。もどかしい思いばかりする。

そう、そして私はときどきボスにすごく会いたくなるのだ。例えば、人を待っている朝とか。

会話をしていたい気もするし、話を聞いていたくなる距離。申し分ない。



みみみに携われることを願う。


晴天、自室にて

過去、大学生になりたくて勉強していた自分

今、勉強したくて大学に行く自分


ものすごく大きな違いを感じる。今ままで、漠然とした大学生活というものに大きな魅力があると信じ、否、信じ込もうとすることで現状に満足できてないことから目をそらさせてた青年期。未来はいつだって小説であった。

しかし現実と理想の誤差(最初のうちはごく小さなもの、微小なしかし違和感)が根暗な私を苦しめていく。それは今では明白なこととして認知しているが(先生という理解者のおかげである)逆に過去とならなければ炙り出すことは難しい。というより、私にはまだ出来ない。

だから結果として、私はいま、非常に楽しい。勉強が楽しい。もっとさらに知りたくなってくる。考えたくなる。五感を駆使して瑞々しく学びたい。探求もしたければ、ほかの事にも目を向けたい。決して想像したようなことない現実がいま、繰り広げられているが間違ってないと思える。






さあ、そろそろ支度をして出かけなくては