自分ができないのに
子供が
できるようにと
子供に
望んでも
難しい
自分が苦労したからと言って
子供に
やらせるのも
簡単ではない
礼儀正しい子に
育ってほしいと思っても
お店や
道で
ちょっと
通路を
譲ってもらったのに
ちょっとした
会釈もできない親では
子供に
挨拶は
しっかりしましょうと
言っても
日頃の
親を見ていれば
しなくていいと
無意識に学んでしまう
自立してほしいと思っても
親が
子から
自立してないのに
自立しなさいと言っても
それは
見せてないから
難しい
そう
日常
常日頃
毎日の生活で
見て感じて
無意識に
日常にしているもの
それが良くないことでも
日常になっていて
自分の家の
当たり前
自然
普通
に
なっていれば
子供は
自分の家の普通が
世の中の普通と思ってしまい
世の中で
同じことをしてしまう
親以外に
学ぶチャンスがあれば
自分ちの普通と
世の中との違いに
気づけるかもしれないが
その違いに
気づけるチャンスに
遭遇することも難しい
それでも
いろんな経験をして
感じたり
学んだり
失敗したり
自主的に行動するからこそ
そこで
違う
これはなんだ
こんなこともあるのか
と
そこを知ることができる
自分ちのルールや
やり方は大切だが
世の中のルールや
平均も
親が
大人が見本になり
教えなければいけない
他もあるということを
自分ちの普通だけで
生きてしまわないよう
教えていかないといけない
でないと
苦労するのは
カワイイ我が子に
なるのだから
家のしつけや学びが
甘ければ甘いほど
外の世界が
辛くなる
しんどくなる
家のしつけが
厳しければ厳しいほど
行動に余裕ができる
家のしつけが
より
厳しければ厳しいほど
世の中が不安になり
自信をなくしてしまう
自分ちと世の中
差はあるのか
無いのか
自分ちと世の中
ズレはあるのか
無いのか
そんなことを考え
無意識でなく
意識的に
かわいい我が子のために
親の背中ではなく
親の姿を
見せていこう
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた




