
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた

神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた
誰が 誰を苦しめてる
誰が 誰を追い詰めている
それは
家族であって
他人であって
自分かもしれない
自分の嫌だと思う
自分が苦手と思う
自分が苦しいと思う
相手が いる
そこが自分にとって
苦しめてる存在だと思っても
実は
我慢を許して
最後のとどめを
刺してるのは
自分なのかもしれない
そう
自分が救えるのに
自分が動けるのに
自分が変われるのに
そこをしないで
現状に
留めている
とどめさせている
そして
自分が
そこから逃げて
自分を
そこから逃して
見て見ぬふりをする
そう
人のことわかるのに
自分のことになると
わからなくなる
自分のことは
分かってるようで
分からない
分かってないのかもしれない
場所が変わっても
人が変わっても
自分が変わらなければ
また
同じことに
なってしまうかもしれない
そう
自分が
自分を守りたい
自分を
守るために
いろんなことをしても
いろいろことをしょうとしても
それが
実は
自分のためにはなってなく
自分をあえて
隅っこに追い込んでる
逃げ場のない端に
追い込んでいる
こともある
そう だからこそ
自分の味方は
自分だということを知り
自分が
最後のとどめを刺すことなく
自分を
自分が助け
自分が
自分を導き
自分を
自分が大切にし
自分の進むべき方向
自分が行きたい場所へ
自分が
動かなければ
納得する場所にはいけない
そう思って
自分が
自分でいられる
その場所を
作れるように
自分が
そこに行けるように
自分が
自分を
導いてあげればいい
助けてあげればいい
動かしてあげればいい
それだけなのだ
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた
なんで
こんな人なんだろう
なんで
変なんだろう
と思う人がいる
なぜ
そんな人と
関わらないといけないのか
なぜ
近くにいるのか
家族でないのに
面倒を
見なくてはいけないのか
と思っても
そこに
縁があるから
関わらないと
いけないのだろう
だからこそ
なぜ
できないのか
なぜ
動かないのか
と
悩みたい気持ちを持つ前に
できないのではなく
動かないのではなく
やったことない
知らない
経験したことない
使ったことがない
一般的に知ってて
当たり前だと思ってても
家庭環境
親から
成長過程での
学校や社会との環境
そんなところで
一般的なことさえも
経験してない
知らない者が
居るということを
知っておかなければいけない
知ってて当たり前
そのぐらい常識
と思ってても
自分が知らない
わからないこと
それが
世間とズレていて
非常識ということさえ
わからないで
過ごしている者も
居るということを
忘れてはいけない
例えば
「○○がいつも
お世話になっております」
○○は
上司が部下のことを
親が子供のことを
子供が親のことを
会社で
学校で
病院で
○○がいつも
お世話になっております
と
自分のために
家族のために使う場面を
経験してたり
また
ドラマや
映画や
漫画で
同じような場面を
見てたりすると
自分が
その状況になったとき
「○○がいつも
お世話になっております」
という言葉は
自分にとっての普通になり
自然に使えるのですが、
「○○がいつも
お世話になっております」
この言葉を
使う状況が
過ごしてきた中で
なければ
この言葉を使うことを
知らないまま過ごします
だから
社会に出て
使っている人がいる中
使ってない人と
使っている人との差は
できてしまいます
そう
自分が一般的だと思うことも
一般的を
経験してない人にとっては
知らないことで
知っててあたりまえではない
のです
できない
やれない
動けない
は
知らないから
そうなってる人が
いるということも
忘れてはいけないのです
悩む前に
人は
どんな大人になろうが
どんな老人になろうが
立派でも
地位が
しっかりしている人でも
見たり
聞いたり
経験しなければ
一般的なことでも
知らないことがあるという
いうことも
考えながら
向き合わないといけない人と
向き合っていこう
普通も
一般的も
常識的なことも
人それぞれ
過ごしていた日々で
ズレがあることを
忘れてはいけない
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた