これから書くことは都市伝説なので、ご注意ください。
日本では自タヒと判断されるには、2つの条件がある、と友人は言っていた。
1つは、遺書があること。
もう1つは、48時間以内に発見されること。
だから自分は必ずこの2つをクリアする、と言っていた。
事故死や原因不明になんてされたくない、と。
最後の報復のつもりだったんだろうな。
あなたたちの子どもは「自タヒ」でタヒぬんだぞ、思いしれ、と。
本人がいなくなったら、これまで以上に好き勝手にされるに決まってるじゃん。
都合の良いドラマチックなことに婉曲されて、墓石に「愛」って書かれるよ。
でも、分かるよ。
知らしめてやりたいよね。
自分の命を使っても。
少しでもいいから、分からせてやりたいよね。
毒親に理解を求めるなんて、馬鹿だって分かってるのに。
期待するのをやめられない。
タヒを選んだ友人には恋人がいた。
恋人はその後、精神的に病んだと聞いた。
これもまた虐待から繋がる苦しみの連鎖なのかと思う。
恋人のせいではない、むしろ友人の命を繋げた存在だった。
友人の職場のひと達も、ショックを受けていた。
友人の親しい人が、訃報を聞いたその場で、悲鳴のような声をあげていたと聞いた。
私もノイローゼのようになった。
すでに亡くなっているひと達の音楽が、怖くて聞けなくなった。
そんな奴じゃないのに、助けられなかった私を恨んでいるかもしれない、とさえ考えた。
ずっと、友達とは何だろう、とぼんやり考え続けた。
私は友達では無かったのかもしれない、と考え続けた。
孤独を感じて、身近だけどよく知らないひとと体の関係を持ったりした。
体だけ相手に、友人のはなしをして泣き、困らせたりもした。
たぶん、そんな私を見て、友人は冷笑したり心配したりしたと思う。
友人の供養に合掌も時々した。
御先祖様に手を合わせるとき、友人の供養もお願いした。
どうか友人が楽になっていますように、と願った。
最近、テレビの番組で、恋愛感情の無い男女のパパゲーノ同士が結婚をしたのを観た。
タヒなないために結婚した。支え合うために。
それを観て、友人が生きていれば、私たちも支え合えたのかな、と思った。
酷いケンカをしているかもしれないけどね。
もっと色々、話したかったよ。