もともと私は、人の役に立つことが嫌いではありません。
「助かった」「ありがとう」と言われると、つい頑張ってしまうタイプです。
おだてられれば木に登るどころか、かなり高いところまで登ってしまう人間です。![]()
ただそれが「やってもらって当たり前」という空気になると話は別。
今年は愚痴を言わないと決めていたのに、
心の中には少しずつモヤモヤが積み重なっていきました。![]()
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先日も有休を取って、親戚の手続きのために一日中あちこちを回りました。
それでも一日では終わらず、あと数日は必要になりそうです。
その経過を説明したとき、親戚の家族から返ってきたのは、
まるで他人事のような言葉でした。
本来なら家族がやるべきこと。
それがいつの間にか、こちらがやるのが当たり前になっている。
何が腹立たしいのか考えてみると、結局は気持ちの問題なのだと思います。
「ありがとう」の一言や、協力的な姿勢が見えれば、
受け取り方も違ったはずです。
そんな話を友人にしたら、
「えらいわ、せっちゃん。徳を積んでるのよ!」
と笑いながら言われました。
徳を積んでいるのか・・・。
でも、その徳はいつ返ってくるのでしょう。
いや、見返りを期待したら、それはもう徳ではないのかもしれません。
とはいえ、私は聖人君子ではありません。
一銭の得にもならないことを続けていると、やはり心は疲れます。
それでも動くのは、当の本人が何度も
「ありがとう」
「申し訳ない」
と言ってくれるから。
今回のことで改めて感じたのは、ボランティア精神というのは、
気持ちにも経済的にも余裕がなければ続かないということ。
親切と自己犠牲は違う。
徳を積むことも大事だけれど、自分をすり減らしすぎないことも同じくらい大事。
そんなことを考えていた時、
YouTubeのおすすめに上がってきた動画がありました。
某有名脳科学者の方のお話です。
タイトルを見ただけで思わずクリックしてしまいました。
「頑張っても報われない人」
「頑張る人は搾取される」
「我慢を神様は見てくれない」
どれも今の私に刺さる言葉ばかり。
特に印象に残ったのが、
「白馬の王子様を待つのではなく、自分が白馬に乗ったお姫様になりなさい」
という言葉でした。(動画のメインの話題とは少し違うんだけど)
誰かが助けてくれる。
誰かがわかってくれる。
いつか報われる。
そんな期待を持ってしまうことがあります。
でも現実、人はなかなか変わらないし、
自分の苦労を思ったほど理解してくれるわけでもありません。
だからこそ、自分の人生を変えられるのは自分しかいない。
誰かが救ってくれるのを待つのではなく、自分で行動する。
そんなシンプルな言葉が、不思議なくらい心に響きました。
もちろん、長年の考え方をすぐに変えることは難しい。
それでも今回の件を通して、自分がどこまで関わるのか、
自分を守るための線引きは必要だと改めて感じています。
我慢することが美徳だと思って生きてきた世代だからこそ、なおさら。
残りの人生は、自分をすり減らすためではなく、
自分自身を大切にするために使いたい。
動画を見ていて思ったのは、私は「優しい人」ではなく、
「断れない人」になっていたのかもしれないということ。
その違いは大きい。
これからは少しくらいわがままに、
自分中心に生きても罰は当たらない気がしています。![]()