最後のブログからかなり経ってしまった。
気が付けば、2026年後半がとっくに始まっている。
春のドラマもかなり豊富だったけれど、夏もまたかなりの豊作祭りではないか!
どれを切るか、ほんとに迷って迷ってかなり大変だった。
「Tシャツがかわくまで」は、今回でタイトルの意味が本当の意味で回収されたわけで。
もしかしたら、彼の逃避癖が理解できない人が沢山いたんではないかと。
でも、私は逆に納得がいったというか、長年の胸のつかえがとれたとでも言おうか。
何を隠そう、現在85歳になる私の父は逃避癖のある人だった。
私が覚えている最後の逃避は私の結婚間近に迫った頃だった。
1年の半分は家にいない父。
未だにどこで何をしていたのかは知らない。
当時の私は興味もなかった。
ただ、ドラマを見て、そういうものが存在するんだと言葉でちゃんと表現できるものなんだとわかって、あの時父は本当につらかったのだとわかった。
子供心に、父のいない間の生活を支えていた母の苦しさ、そのしわ寄せがまともに押し寄せる私達兄弟の方が遥かにつらいと思っていた。
だから、父は好き勝手やっていいなくらいに思っていた。
今は老いてしまい、足も不自由になってきたので徘徊すら困難な状態。
きっと、今もどこかで逃げ出したい願望があるのかもしれない。
だとしたら、相当苦しいはずだ。
いつも私達を傷付けてきたと思っていた父の事を、この歳になってようやく理解できるようになるとは。
何とも申し訳ないというか、父がいたたまれないというか。
ごめんね。
父は弱い人なんだと決めつけていたが、弱いだけなら自分の気持ちにまっすぐ逃げ出すことなんてできなかったのかもしれない。
自分を保つため、そうする時間が必要だとわかっていたんだ。
子供を持つ母となった今、子供を置いて出て行くということがどれだけつらいか。
朝起きておはようと言える人がいない、顔も見られない、声も聞けない。
時々無言電話があって、帰りたいとぼやいていた父。
帰りたいなら帰ればいいじゃないかと思っていたが、本当にできなかったのだ。
物心ついた時から、父はそうだった。
だから、さみしいとは思わないように自分の気持ちをコントロールするすべを身に着けていた。
ただ、父がいないときは、決まって母の嫌がらせが強くなった。
強いていうなら、それがつらかった。
母もあの時、父のことを理解できていれば、こんなにも苦しみ自分の子供を痛めつけることもなかったのかもしれない。
子供を傷付けることは、まともな親なら苦しいはずだ。
私ならできない。
母は普通じゃなかったのか、そうすることで自分を保っていたのか。
私は、もう母にとらわれた人生を生きるのをやめた。
父の痴呆がひどくなり、介護が大変になった頃、私へのあたりがきつくなった。
封印していた過去の記憶がよみがえり、母の顔を見るのも声を聞くのもぞっとするようになった。
兄に全てを託し、距離を置いている。
母が亡くなる時、父が亡くなる時、私は涙がでるのだろうか。
どんな感情になるのだろうか。
Tシャツがかわくまで、他の人とはきっと違う視点で観たかもしれない。
でも、それを忘れて立ち戻ったとしても、純粋にいいドラマでやっぱり生方さんのセリフ。
人と人との関係を描くのがとても巧みで、本当に心から尊敬する。
私もいつか、こんなふうに誰かの心に刺さるドラマを書きたい。
実はヤンシナ2次通過したのだ。
本当はもちろん最終まで行って欲しいけど、2次までいった自分をうんと褒めてやりたい。
諦めず、後半も書き続けるよ。
・新人シナリオコンクール
・橋田賞 短編 長編
・TBS
・日テレ
と年内はまだ眠れない日々が続きそうだ。
どんな物語を紡ごうか。
ひたすら楽しみ。
もうすぐ3回目の16歳の誕生日を迎えるけれど、ヤンシナ取れたら同じ年代の人に希望を与えることになるだろう。
どうか、私の想いが誰かの心に届きますように。