発達障害の育児に奮闘されている同志の皆様、ブログ閲覧ありがとうございます、じゃじゃたろうですニコニコ


あけましておめでとうございますニコニコ


今年はほんと年明けから大変ですね、地震や事故の年始となってしまいました、皆さん地震とか大丈夫でしたか?


私は東北地方の太平洋側居住ですので、東日本大震災をがっつり経験しています、今回の地震被害は当時を思い出しました驚き


私は3月11日の地震発災時、会社が入っているビルの5階にいたんですが、普通の地震とは全然違う、まるで人から掴まれてぶん投げられているような物凄い強い力を感じて、すぐにこの地震はやばい!と直感しました驚き


震災の詳細は皆さんもニュース等でご覧になったかと思いますが、本当にとんでもない大災害で驚き


親戚や家族は避難して無事でしたが、祖母の家は海の町でしたので津波にやられてしまいました。会社では沿岸部の道路をたまたま車で走っていたため津波で亡くなった人もいました。


仕事の関係で発災後数日の遺体の安置所に行ったこともありますが、物凄い数の木製の棺桶が並べられており、また棺桶が足りないのか一部のご遺体は白い布でくるまれて並べられていて、


こんなに沢山の方々が数日前は普通に生活していたのに、あの時刻を堺に亡くなってしまったということが、その光景を目にしても現実の事とは理解ができませんでした、、


それまで普通の日常を生きていたのに、ある日ある時刻を境としてこの平和な日常に突然そんなことが起きるの?ということが信じられず驚き


そんなことがあって10年以上経つ今でも津波の映像は悲しい気持ちになるので見れません、日常に支障はありませんが心的外傷ストレスなんだと思いますぐすん


当時瓦礫の山と化した街を見た上司が、まるで爆撃されたようだな、、とポツリと呟いていたのが強く印象に残ってますぐすん


祖母の家は沿岸部にあったので、その町は津波で亡くなる方も多くて、


たとえ命が助かっても、家は津波でボロボロになり、近所の友人はみんな引っ越してしまうなど、被災地の高齢者は生活がガラッと変わってしまい落ち込むことが多くなってしまいましたぐすん


震災から数ヶ月経った頃、そんな元気の無い祖母がその近辺に住む人達と、お寺のお坊さんから法話を聞く機会があり、


お坊さんから、


「亡くなったみんなは空から笑顔で皆さんを見守っていますよ、こっちの事は心配しなくていいからと言ってますよ」


という話をされたということを当時祖母が言っていましたキョロキョロ


お坊さんは元気がない被災者を慰めるために言ったのかもしれませんが、色々気にしていたんだと思いますが、それを聞いた祖母は少しホッとしたような表情になっていましたおやすみ


みんな別の世界で笑顔で元気にしてるんだと思えたんだと思いますおやすみ


あの震災を経験して私は生死について考え方が変わったというか、自分も必ずいつかはわからんけど最後が間違いなくくるんだということを実感したり、


必ず死に繋がるこの生とはどういうことなんだろう?とか哲学者に任せとけばいいのに、なんか色々考えるようになった気がしますキョロキョロキョロキョロキョロキョロもちろんいつもそんなことを考えてるわけではありませんがキョロキョロ


うまく言えませんが、


うちの県の沿岸部も今後また地震がくるとか言われてますし、南海トラフとか首都圏の地震とか富士山の噴火とかも色々言われていますので、


皆さん油断をせずにいきましょう!


あと、このブログの主人公こたろうは今日も元気です立ち上がる立ち上がる立ち上がる
震災のこと書いてたら育児ブログであること忘れてました驚き驚き


 

※うちの定番、主婦ママたろうのオススメ紹介です


 



 

 



 

 



 

 


 

 



 

 



 

 




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