アントニオ猪木  | プロレスLOVE

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主な戦績

1960年9月30日、デビュー戦で大木金太郎(金一=キム・イル)に逆腕固めで負け。
1966年11月19日、ジョニー・バレンタインに勝利。US王座獲得。
1967年10月31日、ジャイアント馬場と組み、ビル・ワット、ターザン・タイラー組に勝利。インターナショナル王座獲得。
1969年5月16日、クリス・マルコフを破りワールドリーグ戦初優勝。
1969年12月2日、NWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアに挑戦、60分時間切れ引き分け。
1971年3月2日、ジョン・トロス戦に勝利。UNヘビー級王座を獲得。
1972年10月4日、カール・ゴッチに勝利。世界ヘビー級王座を獲得。
1973年10月13日、坂口征二と組み、カール・ゴッチ、ルー・テーズ組と90分3本勝負で対戦、2-1で勝利。
1973年12月10日、ジョニー・パワーズと対戦。NWF世界ヘビー級王座獲得。
1974年3月19日、NWF世界ヘビー級選手権試合でストロング小林と対戦、大物日本人同士の対決が話題となった。ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。
1974年4月26日、坂口征二と初対戦。30分1本勝負で時間切れ引き分け
1974年6月26日、タイガー・ジェット・シンと対戦し、腕を折る。
1974年8月16日、坂口征二と組み、クルト・フォン・ヘス、カール・フォン・ショッツ組から北米タッグ王座を奪取。
1974年10月10日、NWF世界ヘビー級選手権試合で大木金太郎と対戦、13分13秒でバックドロップからフォール勝ち。
1975年12月11日、ビル・ロビンソンの挑戦を受けてNWF選手権、60分時間切れ引き分け。
1976年2月6日、ミュンヘンオリンピック柔道無差別級金メダリストウィレム・ルスカと初の異種格闘技戦。バックドロップ3連発で勝利。
1976年6月26日、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン モハメド・アリと対戦、時間切れ引き分けに終わる。(アントニオ猪木対モハメド・アリ参照)
1976年10月7日、アンドレ・ザ・ジャイアントと格闘技世界一決定戦を戦いレフェリーストップで勝利。
1977年8月2日、空手のWKA世界スーパーヘビー級チャンピオンであった、ザ・モンスターマン(エベレット・エディ)と対戦、KO勝ち。
1979年8月26日、プロレス夢のオールスター戦で、ジャイアント馬場と組み、タイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー組と対戦、シンを逆さ押さえ込みに仕留めて勝利。
1979年11月30日、ボブ・バックランド戦に勝利。日本人初、WWFヘビー級王座獲得(王座はのちに返上)。
1980年2月27日、極真会館所属のウィリー・ウィリアムスと対戦、ドクターストップの無効試合となった。
1980年9月25日、スタン・ハンセンと対戦、逆ラリアートでフォール勝ち。
1982年11月4日、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇と1対3変則マッチで対戦、寺西、浜口からフォールを奪うも木村にリングアウト負け。
1983年5月27日、第1回IWGP決勝リーグ戦で前田日明(当時は前田明)と(唯一のシングル)対戦、フォール勝ち。
1983年6月2日、第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンと対戦、アックスボンバーによりリング外に転落し頭を打ちKO負け。
1983年11月3日、維新軍との4対4綱引きマッチで谷津嘉章と対戦、フォール勝ち。
1984年6月14日、第2回IWGP決勝戦で前年優勝したハルク・ホーガンに挑戦、2度の延長戦や長州が乱入するもののリングアウト勝ち。
1985年4月18日、ブルーザー・ブロディと対戦、両者リングアウト。
1985年12月12日、'85IWGPタッグリーグ戦決勝戦で坂口征二と組み、藤波辰巳、木村健吾組と対戦、藤波のドラゴン・スープレックスで敗北。
1986年2月6日、UWF代表の藤原喜明と対戦、疑惑の急所蹴りがあるものの勝利。
1986年6月17日、アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦、世界初のギブアップ勝ち。
1987年3月27日、大阪城ホールでの「INOKI闘魂LIVE Part2」のマサ斎藤戦に海賊男が乱入。観客が暴動を起こす。
1987年10月4日、マサ斎藤と「巌流島の戦い」を行う。2時間5分14秒の死闘の末勝利。
1987年12月27日、たけしプロレス軍団の刺客、ビッグバン・ベイダーと対戦し、2分49秒で敗れる。再三のカード変更と猪木の敗北に観客が、大阪城ホールに続き暴動を起こす。
1988年7月22日、長州力と対戦、フォール負け。
1989年4月24日、「格闘衛星闘強導夢」と釘打ち、プロレス初の東京ドーム大会でショータ・チョチョシビリと異種格闘技戦。裏投げを食らい、左肩を脱臼し(異種格闘技戦初の)敗北。
1989年5月25日、大阪城ホールで再戦し、ギブアップ勝ちを収めている。
1990年2月10日、坂口征二と組み、蝶野正洋、橋本真也組の挑戦を受ける形で対戦し、結果は蝶野からフォール勝ち。この試合で初めて「1、2、3、ダー!」を披露。
1992年1月4日、馳浩と対戦、卍固めで勝利。
1994年1月4日、天龍源一郎と対戦、パワーボムで敗れる。
1994年5月1日、福岡ドームでグレート・ムタと対戦、フォール勝ち。この試合より引退への布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まる。
1998年4月4日、「ファイナルイノキトーナメント」を勝ち上がったドン・フライと引退試合で対戦、グラウンド・コブラで勝利。
通算成績 [編集]
シングル戦 - 612勝41敗50分
タッグ戦 - 1466勝104敗130分

               「道」


 人は歩みを止めた時に、

 そして、

 挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。

 この道を行けばどうなるものか
 
 危ぶむなかれ

 危ぶめば道はなし

 踏み出せば

 その一足が道となり

 その一足が道となる

 迷わずゆけよ
 
 行けばわかるさ!!


アントニオ猪木最高~!!


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