siNG
4月の東京 天から舞い降りた天使
ひらめき?フザケルナ
毎回毎回頭ん中掻っ穿って必死にひねり出すんだよ。
何かしら確からしいものにたどりつこうとするのが人間だが、そんなものは実は存在しないという事を認めることからが本当の人間なのかもしれない。
自分自身を本当に疑い始めたときに全てが始まる。
その存在の不確かさに恐れおののきながらも手近な概念、すがりつけるイメージ、固着した現代の常識にかけこまずに不確かな自分、しかし自分でしかない自分で居続ける。
死ぬまでこたえの出ないことの解っている問題を考え、それに基づいて生きる。
自問自答して疑問にこたえる。
「我疑う 故に我在る」
迷える人がその解決を求めて自らを救うために努力して、長い時間をかけて真剣に身につけることというのは、さらに長い時間を経て必ず誰かを勇気づけることが出来る。
そのためにもっとも大切なことは自分で考えること。
自分で思った答えは心に刻まれる。
迷いを晴らすには勉強することが何よりの方法だと思う。
自分の心から欲せられた時にはじめて意味をなす。
勉強にはこれ以上ということは一生なく、
わかればわかるほどにわからないことの多さに気づき謙虚になれる。
これほど尊くそして面白いことはない。
運を動かすと書いて運動
それと双璧をなす勉強
嗚呼 、
お前は此処にいる。
疑問が湧いたら宇宙が広がる
光を学び方角を知り天(くう)を見る
目を閉じて好きに動け
頭重たけりゃ汗をかけ
息を吐いて力を抜け
すべては疑問から始まる
目ン玉ひんむいても見えないもんもある
ひらめき?フザケルナ
毎回毎回頭ん中掻っ穿って必死にひねり出すんだよ。
何かしら確からしいものにたどりつこうとするのが人間だが、そんなものは実は存在しないという事を認めることからが本当の人間なのかもしれない。
自分自身を本当に疑い始めたときに全てが始まる。
その存在の不確かさに恐れおののきながらも手近な概念、すがりつけるイメージ、固着した現代の常識にかけこまずに不確かな自分、しかし自分でしかない自分で居続ける。
死ぬまでこたえの出ないことの解っている問題を考え、それに基づいて生きる。
自問自答して疑問にこたえる。
「我疑う 故に我在る」
迷える人がその解決を求めて自らを救うために努力して、長い時間をかけて真剣に身につけることというのは、さらに長い時間を経て必ず誰かを勇気づけることが出来る。
そのためにもっとも大切なことは自分で考えること。
自分で思った答えは心に刻まれる。
迷いを晴らすには勉強することが何よりの方法だと思う。
自分の心から欲せられた時にはじめて意味をなす。
勉強にはこれ以上ということは一生なく、
わかればわかるほどにわからないことの多さに気づき謙虚になれる。
これほど尊くそして面白いことはない。
運を動かすと書いて運動
それと双璧をなす勉強
嗚呼 、
お前は此処にいる。
疑問が湧いたら宇宙が広がる
光を学び方角を知り天(くう)を見る
目を閉じて好きに動け
頭重たけりゃ汗をかけ
息を吐いて力を抜け
すべては疑問から始まる
目ン玉ひんむいても見えないもんもある
1st lioE
蛍光灯が一つ消え 蛍光灯がまた一つ消えた 残り一つの蛍光灯はスイッチ一つで消えてしまうのだらうか
わたしはまだあなたの事を知らない
蛍光灯は全部で四つ
残りの一つは変えられないの あの人の思い出だから...
でもどこにあるの 見当たらないわ
水玉の水着に卵がこぼれて最悪だった という隣のとなりの女の子は雨がよくお似合い
cofFeeを飲みながら幼なじみ風の彼女とひそひそ話
小さい声もよくお似合いネ
あたし 見つめられなくていいの
そのかわりあなたの唇の傍でずうっと聞きていたいわ
えぇ そうよ 王子様とのステキな物語をよ
したわるふをて
したあすえかりふをて
わいしほてっふをて
わいなれふはて
わるてっふとっずかれそ
そんなのヤダわ
今日家に帰ったら いつもなら一つしか点かない蛍光灯が三つ点いた
でも残りの一つは薮の中
わたしはまだあなたの事を知らない
蛍光灯は全部で四つ
残りの一つは変えられないの あの人の思い出だから...
でもどこにあるの 見当たらないわ
水玉の水着に卵がこぼれて最悪だった という隣のとなりの女の子は雨がよくお似合い
cofFeeを飲みながら幼なじみ風の彼女とひそひそ話
小さい声もよくお似合いネ
あたし 見つめられなくていいの
そのかわりあなたの唇の傍でずうっと聞きていたいわ
えぇ そうよ 王子様とのステキな物語をよ
したわるふをて
したあすえかりふをて
わいしほてっふをて
わいなれふはて
わるてっふとっずかれそ
そんなのヤダわ
今日家に帰ったら いつもなら一つしか点かない蛍光灯が三つ点いた
でも残りの一つは薮の中
KuU
家のもの:
『お前どこへ行っていたの?』
子供:
『外にいた。』
家のもの:
『何していたの?』
子供:
『何もしていないの。』
菩薩の境地、無限の妙味。
大人から見ると子供は、とんだり、はねたり、種々様々な遊びをやったにきまっている。
しかし子供からみれば何もしていないのだ。
朝6-10時の太陽を浴びると、脳内の神経伝達物質の代表としてのセロトニンが分泌されるという。
朝の太陽を浴びないとそれが不足し集中力が切れやすくなったり、鬱やらマイナス思考になり易くなる。
朝日を沢山浴びるとより分泌されシゴト、修行も夜まで集中できる。
去年の夏あんなに暑かったのに毎日の様に5時起きで走ってから仕事にいっていた。
疲れるどころか調子が良かったのは運動と食事のbalanceの他に朝の太陽が関係していたのかも。
咀嚼、運動(Run Dance)、意識的な呼吸(ヨガ 瞑想 座禅)が
つまり、リズム運動がセロトニンの分泌を促すようです。
己の目や耳といった五感すら時として嘘をつく
平常心是れ道
天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山された成田山。以来1071年の間護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく、その眩いばかりの法灯を護持継承している。
3泊4日の断食道場での修行の目的は、お不動さまのご加護のもと、不動の信念と、心身の鍛錬を体得することにあります 。
朝5時の掃除から始まり夜10時就寝までの間ひたすら自分と向き合う、自然と共存する、意識は空 只 今 ここ。
写経、坐禅をし、お説教を聞いたり散歩したり等、そこには煩悩はなくむしろ知恵すらない、ただ青い空があり緑があり風が吹き、陽が登ったら起き、沈んだら休む。
月も満ち 欠け
十畳ほどの年季の入った薄暗い和室に一人で寝泊まり。TVもなければ、携帯電話、エアコン、洒落たインテリアなどは皆無。
全然体力つかってないせいもあって寝れない。怖いし、蚊に刺されるし、お腹ぺっちゃんこで・・雑念だらけ。
一日がとにかく長い。こんだけ無駄に時間を費やしたのはじめてと思うくらい。
水だけの生活、階段を上るのもつらくなってくる。
やることがなさすぎる。
そもそもやることってなんだ?
仕事ってなんだ?
生活ってなんだよ、年金って、貨幣って、一体なんなんだよ。
いるか?
入山してる間10回以上参拝者とともに参加した御護摩祈祷。御護摩とは、お不動さまを本尊としてその前に壇を設け、護摩木という特別な薪をたいて、諸々の願いを成就することを祈る真言密教の修法。護摩の火はお不動さまの智慧を象徴し、薪は煩悩を表しています。護摩の祈祷を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いをお不動さまの智慧の炎で焼きつくし、ぞれぞれの持ち物を翳し願望を清め、すみやかに成就するよう祈念する。1日5~8回行われる超度迫力のステージとでも呼ぼう修法。何度参加しても飽きなかった。本当に不思議だ。
1日に何百人が参加をして大護摩に何万円とお金を払っている。
日本という国、信教の在り方、歴史、これからの未来はどうなっていくのだろう。
どう在るべきなのか・・・
痩せるとかデトックス、内臓のリセットとかそんな事ではなく、心そのまま、神のまにまに。
守るとか祈るとかいうことも無論。
何もいらないのだなと。
とても素晴らしく美しい物凄く危険な荒行でした。
肉体も精神もくたくたになり、出家、解脱などはほど遠いことをがっちりと体感しました。
長い長い3泊4日のあとの重湯と焼き味噌、梅干しはどんなご馳走より「美味しかった」
というか一年ぐらい経つがFitする言葉がまだ見つからない。
ちなみにおかわりしました。
最後の朝に湯呑みを物の見事に真っ二つに割ってしまったのはなにかの啓示なのか。
その後出会うべくして出会ったのか、一人の老婆との人生を変えた一時。
帰り際あの橋本貫首に額にポンと手を触れられた時に涙が溢れました。
理由はないね。
どれだけ手放せるか。
ロレックスより太陽の方が贅沢な時計だ。
帰りの満員電車が物凄く恋しかったのは、まだまだ修行がたりない証拠。
独りでは生きて行けぬ。
『お前どこへ行っていたの?』
子供:
『外にいた。』
家のもの:
『何していたの?』
子供:
『何もしていないの。』
菩薩の境地、無限の妙味。
大人から見ると子供は、とんだり、はねたり、種々様々な遊びをやったにきまっている。
しかし子供からみれば何もしていないのだ。
朝6-10時の太陽を浴びると、脳内の神経伝達物質の代表としてのセロトニンが分泌されるという。
朝の太陽を浴びないとそれが不足し集中力が切れやすくなったり、鬱やらマイナス思考になり易くなる。
朝日を沢山浴びるとより分泌されシゴト、修行も夜まで集中できる。
去年の夏あんなに暑かったのに毎日の様に5時起きで走ってから仕事にいっていた。
疲れるどころか調子が良かったのは運動と食事のbalanceの他に朝の太陽が関係していたのかも。
咀嚼、運動(Run Dance)、意識的な呼吸(ヨガ 瞑想 座禅)が
つまり、リズム運動がセロトニンの分泌を促すようです。
己の目や耳といった五感すら時として嘘をつく
平常心是れ道
天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山された成田山。以来1071年の間護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく、その眩いばかりの法灯を護持継承している。
3泊4日の断食道場での修行の目的は、お不動さまのご加護のもと、不動の信念と、心身の鍛錬を体得することにあります 。
朝5時の掃除から始まり夜10時就寝までの間ひたすら自分と向き合う、自然と共存する、意識は空 只 今 ここ。
写経、坐禅をし、お説教を聞いたり散歩したり等、そこには煩悩はなくむしろ知恵すらない、ただ青い空があり緑があり風が吹き、陽が登ったら起き、沈んだら休む。
月も満ち 欠け
十畳ほどの年季の入った薄暗い和室に一人で寝泊まり。TVもなければ、携帯電話、エアコン、洒落たインテリアなどは皆無。
全然体力つかってないせいもあって寝れない。怖いし、蚊に刺されるし、お腹ぺっちゃんこで・・雑念だらけ。
一日がとにかく長い。こんだけ無駄に時間を費やしたのはじめてと思うくらい。
水だけの生活、階段を上るのもつらくなってくる。
やることがなさすぎる。
そもそもやることってなんだ?
仕事ってなんだ?
生活ってなんだよ、年金って、貨幣って、一体なんなんだよ。
いるか?
入山してる間10回以上参拝者とともに参加した御護摩祈祷。御護摩とは、お不動さまを本尊としてその前に壇を設け、護摩木という特別な薪をたいて、諸々の願いを成就することを祈る真言密教の修法。護摩の火はお不動さまの智慧を象徴し、薪は煩悩を表しています。護摩の祈祷を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いをお不動さまの智慧の炎で焼きつくし、ぞれぞれの持ち物を翳し願望を清め、すみやかに成就するよう祈念する。1日5~8回行われる超度迫力のステージとでも呼ぼう修法。何度参加しても飽きなかった。本当に不思議だ。
1日に何百人が参加をして大護摩に何万円とお金を払っている。
日本という国、信教の在り方、歴史、これからの未来はどうなっていくのだろう。
どう在るべきなのか・・・
痩せるとかデトックス、内臓のリセットとかそんな事ではなく、心そのまま、神のまにまに。
守るとか祈るとかいうことも無論。
何もいらないのだなと。
とても素晴らしく美しい物凄く危険な荒行でした。
肉体も精神もくたくたになり、出家、解脱などはほど遠いことをがっちりと体感しました。
長い長い3泊4日のあとの重湯と焼き味噌、梅干しはどんなご馳走より「美味しかった」
というか一年ぐらい経つがFitする言葉がまだ見つからない。
ちなみにおかわりしました。
最後の朝に湯呑みを物の見事に真っ二つに割ってしまったのはなにかの啓示なのか。
その後出会うべくして出会ったのか、一人の老婆との人生を変えた一時。
帰り際あの橋本貫首に額にポンと手を触れられた時に涙が溢れました。
理由はないね。
どれだけ手放せるか。
ロレックスより太陽の方が贅沢な時計だ。
帰りの満員電車が物凄く恋しかったのは、まだまだ修行がたりない証拠。
独りでは生きて行けぬ。









