メンターは、陽明学者!
「ある武士が近江の国を旅していたとき
大切なお金を馬の鞍に付けたまま馬を返してしまった。武士が金が戻らずがっかりしていたが、
その時の馬子が金をそっくり渡すため
武士のもとに戻ってきた。
感謝した武士はせめて礼金を渡そうとするが、
馬子は受け取らない。
聞くと馬子の村に住む中江藤樹の教えに導かれてのことと言う。
そこで武士は迷わず藤樹の弟子となった。この武士こそ後に岡山藩の家老となった熊沢蕃山である」
日本陽明学の祖、中江藤樹をメンターとし、
陽明学を学んだ熊沢蕃山が、
1651年、庶民教育の場となっていた「花園会」を、日本初の庶民学校「閑谷学校」(1670年)につなげていったという。
蕃山なくして、もちろん中江藤樹なくして、
今の学校教育はありえないのである。
そこで、タロットdeタイムスリップ!
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およそ350年前にタイムスリップし、
熊沢蕃山の気持ちを覗いてみました。
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中江藤樹に心酔した蕃山は、
陽明学に満足し、運命的なものを感じていたが、
これをどう活かして良いのか方向性に迷い、
複雑な心情であったことがうかがえる。
しかし、なんとしてでもこれを広めようと考えた蕃山は、藩から離れ、この学問を太いものとせんとする大志を抱いていたようだ。
なぜなら知っていても行わないのは、本当に何も知っていないのと同じだからだ。
「知行合一」



