インドの歴史を垣間見る | 酔って候

酔って候

ブログの説明を入力します。

世界史の興味がある方もない方もちょっと5000年のインドの歴史をご紹介

BC2500年頃 
世界四大文明の一つ、インダス文明がインダス河沿いに発展。ドラヴィダ人(古代インド人)が造ったとされ、モヘンジョ・ダロやハラッパーといった都市遺跡には大浴場や水洗トイレがあったとされる
BC1500年頃
アーリア人の侵入。土着のドラヴィダ人を征服し、司祭を頂点とする身分制度を持つ、バラモン教を成立させる
 
恐らくこの時代から、lowerカーストと呼ばれる最下層の人達が生まれたものと推察されます
BC563年
ブッダの誕生。開祖ゴータマ・シッダルタがルンビニーに誕生。ブッタの死後も仏教は広がりを見せ、268年頃にインドをほぼ統一した、マルリア朝のアショーカ王が仏法を理念とした統治を行う
320年 
チャンドラグプタ1世がグブタ朝を興し、5世紀頃にインドを統一。王政によって保護されていた仏教はここで衰退の一途を辿り、バラモン教がさまざまな民俗信仰を巻き込みヒンドゥー教が誕生。
1206年
マムルーク朝が成立。クトゥブッディーン・アイバクがデリーを都としたアムルーク朝を興す。ここからイスラームによる本格的なインド支配が始まる、
代表的な遺跡はデリー南ブ・クトゥブ・ミーナール

 
インドで一番高い石柱 皇帝クトゥブゥッディーン・アイバクがヒンドゥー教徒に勝利した事記念して建て、その後も後継者が増築を繰り返し、高さ72.5mの石柱になった(こちらは後日ちゃんとご紹介します)

1498年
ヴァスコ・ダ・ガマ来航。1497年7月にポルトガルのリスボンを出航した、同年11月にアフリカの喜望峰を通過し、1498年5月にインド南西部のカリカット(現在のコルカタ)に到達。ここから大航海時代が幕を開け、以後ヨーロッパ諸国が競ってインドに進出

1556年
ムガル朝アクバル帝が即位。1526年に興されたムガル朝。ここにかの有名なタージ・マハールやアーグラー城、ファテーブル・スィークリーが建設される。

1857年
セボイ(インド人傭兵)の反乱。 1690年にコルカタに東インド会社が設立されたのを皮切りに、18世紀にはイギリスの植民地支配が強まる。宗教的侮辱をきっかけにセボイが反乱を起こしたが、イギリス軍に鎮圧され、ムガル朝皇帝はイギリスに追放された。1877年にヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国の成立を宣言

1950年
インド建国の父と呼ばれる、マハートマー・ガーンディーが独立を求め、1919年イギリスに対して不服従運動を開始。ガーンディーは1947年に暗殺されるが、1950年インド憲法が発布され、インド共和国が成立。

現在、インドは、ヒンドゥー教・80.5%、イスラーム教・13.4%、キリスト教・2.3%、スィク教・1.9%、仏教・0.8%、ジャイナ教・0.4%、その他(バハーイ教、ゾロアスター教)・0.7% 
これら宗派の説明はまた後ほど。

ではでは、また(*^^)v