SORAのブログ -14ページ目

白と黒の世界③

皆は死の世界について一度は考えることがあったと思う。私もその一人だ。

だからなんだというわけでもないが一つの仮説に疑問を持つ。

ひとつは死んだあとは魂が残り大事な人の傍で生きているという仮説と

もう一つは死んだら無になり、何も残らずその人はいないという仮説。

どちらが正しくてどちらが正しくないという疑問ではなく、私はどちらもどちらの世界も知らないから

わからないとしか言いようがない。

ならば何が疑問か?というと、この仮説を言っている人たちは、この死の世界を知っているということ。

生きている今の段階で、どんな方法を持って知ったのだろうか?

そこが疑問である。超能力や生まれ持った霊力、それはやっぱりあったにしても一般人には解り知れない

領域だ。だからそれが嘘とか信じないということではない。

そんな力があることも私には理解することが難しいからわからないとしか言えないだけだ。

少し予断になりつつあるが、科学で証明できることは目に見えることだから信じやすいが

目に見えない理論、推測となると信じるのに難しい。生まれつき人は物質的生き物だから

視界に入る物しか信用できない。現に赤ちゃんは絵と言葉を一緒にするのと言葉だけでは

はるかに能力の違いが出ている。そういう意味では絵本とは画期的な物なのかもしれない。

生まれてからすぐに赤ん坊は死を背中合わせに生きている。生まれる前からかもしれない。

母親の胎盤の中でそれは始っているのかもしれない。

生まれたら何をここで私はするのだろう。考えなくても将来が決まっている人もいるだろうが、大体の人は

いつか迷うときが来るものだ。そして悩みはわからないで止まったままで人は落ちるところまで落ちて行く。

そしてそこから起き上がれないものが死の世界へ行ってしまうのだろうか?違う気がする。

形式上はそうかもしれないが生きていても死んでいる人もいる。心が生きているかいないかで死にも生にも

なるのだと私は思う。人は知恵という宝をもらった。もちろん生まれてくる動物にも生物にも知恵はある。

人と動物たちの違うところはどこか?よく言葉だというけど、それよりも先にあるものがある気がする。

それは人には考えるという知恵がある。動物にも生物にも本能だけで生きている。だから生きる知恵はあっても

考えて動くことが難しい。大事なものをもらっていたんだ私たちは。

だから死の世界を考えるよりも生きて何をするのかを考えるほうが、はるかに素晴らしいことだと私は思う。

                                                  




                                                        つづく


白と黒の世界②

もうそろそろ花見の桜も散ってしまっただろうか?

桜の花が咲き乱れる頃人は花見だ花見だとシートで場所取りにと幹事を決めて飲み会?

どれだけの人が花を見て感激しているだろうか?花は皆がわいわいやっていることを

一緒に楽しんでいるだろうか?またはストレスだろうか?

確かに桜は綺麗だと思う。でも桜だけではない気がする。

たとえばさ川沿いに咲いている菜の花だったり道沿いにしっかりと咲いている百日草だったり

冬から春だよ~って知らせにきたタンポポ。

どうして桜だけが主役なのさ?って言ってる気がしないかい?

人はやっぱり花を見ているんだ、花の心を見て楽しんでなんかない。

公園に学校に並木道に沢山の桜の木。どうしてこんなに桜の木?

人間の世界から見ると見えてくるものは何だろう?まるで料理の仕上げに使うような見栄えだ。

木の樹の根はとても長く長く延びる生き物なんだ。なのに、そんなに沢山あったらぶつかって絡まって

痛いじゃないか!!と喧嘩になる。

いったい何がしたいんだろう、、僕たちはここで皆にワイワイされるためにここにいるのだろうか?

桜がどんな気持ちであろうと桜にはそこから動くことができない。だけど人は足がある。

沢山動くことができる。今度は桜以外にもきれいだったりかわいい花たちがここにもいるよって声を

聞いてあげて欲しいな。   

                  




                                                         つづく

映画館にて

失恋した日、何したい? ブログネタ:失恋した日、何したい? 参加中
本文はここから普段から泣くってことができない私だから、

暗くて泣いてても気にならない、映画館で!泣ける映画をチョイスして思いっきり泣いて

泣き足りないときは、また泣ける映画をチョイスして泣いて泣いて泣いて、

そして最後には思いっきり笑っていたい。