質問への返信です  えんちゃん様・福ちゃん様 and 推し武将 | Slow Down

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アニカラアーミーズ・アニカラヒーロー・不忍カフェの歴史書。

えんちゃん・福ちゃん、御質問の提供ありがとうございました。 早速返信させて頂きますね。

 

 

えんちゃんからの質問

 

本題の前に、ファイアーエムブレムの私のメインは一昔前の「聖戦の系譜」になりますので、
最近のとはデータベースが若干異なる可能性があることは御了承ください。

 

Q1:ファイアーエムブレムの好きなジョブは何ですか?


A1:ペガサスナイトです。


  美女が純白のペガサスに跨り、緑色の長髪を靡かせて天を駆ける、が最高ですね。
  ....あ、期待通りの返答でした?  柊さんの初軍務もこんなイメージで最高でしたよ。
   ちなみにゲームでは戦術的にも「三姉妹デルタアタック」を多用していました。

 

Q2:ファイアーエムブレムで好きな武器は何ですか?
A2:個人的にはやはり「刀系」ですね。 斬鉄剣やバルムンクあたりになります。

 

Q3:スポーツはやっていますか?
A3:はい、eスポーツやっています(笑)。 御存知のように格闘ゲーム限定ですが。
   基本的に青春熱血&さわやかなスポーツとは無縁の人間です。
   あ、陸上部には一応7年程在籍していました(中距離専門)。

 

 

福ちゃんからの質問

 

Q4:推しの戦国武将は誰でしょう?
A4:大谷吉継、清水宗治、木村重成といったところですね。 有名な武将だと、上杉謙信とか毛利元就とかかな。

 

知っての通り、私はアーミーズやヒーローでは色々と思うところがあって、滅多に「推し」宣言しないですが、戦国武将となると選択肢が多過ぎるという、また別の理由で「推し」宣言が難しいです。
是非また今度オフラインでゆっくり語りましょう。

 

他にも質問等ありましたら、引き続き皆様からの投稿をお待ちしています。

 

 

 

 

 

推し武道というアニメ(?)があるそうですね? 例によって詳しいことは分らないですが。

それはさておき、上述の「推し武将」について語ってみます。

ゆづさんが少し前に刀剣乱舞について熱く語っていたので、それを思い出して私もやってみようと思いました。

以下は、長文になること、また少し生々しい表記があるため、戦国武将に興味がある方限定でどうぞ。


『大谷吉継について簡単に紹介(諸説ありますが代表的なもので)』
豊臣秀吉の重臣の1人でしたが、らい病を患って、後年は軍務・政務等の現役から退き、闘病生活を過ごしていました。
そんな折、盟友である石田三成が「徳川家康と戦うから味方して欲しい(関ヶ原の戦いのこと)」と言ってきた時、「お前は絶対勝てない!!」と猛反対して一度は追い返すものの、昔の恩を思い出して参戦を決意しました。
その「恩」と言うのは、豊臣秀吉主催の茶会にて一杯の茶の回し飲みをしていたとき、病気がうつるからといって誰もが大谷吉継の口を付けた茶を飲みませんでしたが、石田三成だけは平然と飲んでくれたことです。
関ヶ原の戦いでは約2000人の兵を率ましたが、自身は病気のために目が見えず、輿に乗っての参戦にも関わらず、約10倍の小早川秀秋隊を2回撃退しています(他にも色々活躍していますが割愛します)。
最終的に敗北が決まって自害するものの、恩義のためなら負けると分っている戦いだろうと参戦して潔く散るところに美学を感じます。

 

After Story
大谷吉継は死んだ後に病気で爛れた顔を晒したくないということで、自害直前に側近の湯浅五助に首を埋めて隠すように指示しました。
湯浅五助はそれを忠実に実行しましたが、藤堂高刑という武将に見つかってしまい、「自分の首を差し出すから、大谷吉継の首は秘密にして欲しい」と言いました。
藤堂高刑はその提案を受け入れて、徳川家康に湯浅五助の首を持って報告に行きますが、当然のことながら「大谷吉継の首も知らない? 教えてくれたらもっと御褒美あげるよ」的なことを言ってきます(実際には「逆に教えないと許さないよ」的な威圧感もあったはずです)。
しかし藤堂高刑は「男と男の約束だから絶対に言わない」という姿勢を崩さなかったため、徳川家康も部下の前で「これこそ武士の鑑」と褒め称えて逆に褒美を追加し、大谷吉継の首を捜すのも諦めたそうです。

大谷吉継本人だけでなく、その死に関わった人達もみんな男前だなど思っています。

 

ちなみに大阪夏の陣で、戦死した木村重成の首が徳川家康に届けられたとき、その首は良い香りがしていたそうです。
というのも木村重成はこの戦いで生き残るつもりは最初から毛頭なくて、自分の首を持つであろう敵が臭いで不快な思いをしないようにとの配慮として戦闘前に兜に香を焚き込めていたとのことです。 そしてそれを聞いた徳川家康も感涙したとの逸話があります。

それから清水宗治は簡単に言うと、本能寺の直前に織田信長軍と徹底抗戦を主張していましたが、和議にて城兵全員の助命と引き換えに切腹した武将ですね。

 

脳内の記憶だけで書いているため、間違いなどありましたら申し訳ありません。

上杉謙信とかまだまだ書くことができますが、大まかにこんな感じの武将が推しですね。

 

青文字部分を最後まで読んでくださった、戦国武将ファンの皆様、ありがとうございました。