よかった、可哀想な女の子はいなかったんだ ~リアリティとリアルは違うよ!話~ | Aa's column

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とある研究者がステマ問題について語ります。
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人間は騙されたい動物である。ということが、意外に認識されていないらしいと気づいた今日この頃。
最近流行の「ゲーセン少女」正しくは「ゲーセンで出会った不思議な子」話は興味深いので、語ってみます。


内容はあまり目新しくもなく、2ch泣ける実話系。電車男の系譜。
でも実話かどうかで未だに大騒ぎしているのが面白いです。
正確には「実話かどうか、どうでもいいじゃん」「いや、そこははっきりしろ」論争な気がしますけど。


「そんなだからステマに騙されるんだ」で、ぷちーんときたのさ。
違うよ、全然違うよ。



まず、リアリティテレビというものがあってですね。
一時流行ってもう廃れましたけど、「あいのり」とか「サバイバー」とか。
前者はかなり流行し(受け入れられ)、後者はアメリカで大人気だったにも関わらず、日本では早々に打ち切られました。


でもどちらが、ガチ(リアル)だったかといえば、「サバイバー」だったのです。
これはやらせなしで、ある人々を一定の環境において競わせるというゲーム番組。


「あいのり」は若者達がワゴンで旅をしながら恋愛するという番組。
これもやっぱり、「やらせだろ」とさんざん言われながら、でも好評でした。
週刊誌でやらせと叩かれ、参加者が劇団員だと言われながら、却って人々は観たという。


それで私の抱いた仮説。「日本人はやらせかどうかの境界線上に、むしろときめくらしい」。
本当にガチだと、どぎつすぎて引いてしまうのですよ。
リアリティとリアルは違うのですよ。


人間は騙されたい動物なのです。
フィクション(小説とか映画とか)で心をがつーんと殴られた時の、あの感動。
それは「これは嘘ですよ」という安心感あってのものなのです。
さもないと戦争映画とか楽しめないよ!



もう一つ重要な指摘は、これがあるネットコミュニティの中で育まれたということ。
今回は2chのVIP板でした。


彼らは同時進行で物語を楽しみながら、適度に合いの手を入れ、共時性を楽しみました。
「みんなで同じ時を生きている感覚」ね。
がちがちの仲間意識に守られた、共有記憶なのですよ。


だから、部外者にはその楽しさ面白さが分からないし、内部者にとってはむしろ、外から叩かれるほど逆に「俺たちだけの物語」という価値が生まれるという。


「あいのり」なんかも、ある世代の共有記憶になっていますしね。
あの時、あれで楽しんだよねーっていう。


携帯小説(恋空など)も同じです。


どう乗っかるかなのです。まさしく「あいのり」のワゴン車のように。



だから、この感動実話?が受け入れられた背景を知るには、「リアル過ぎないからいいんだよ」と「リアル(実話)かどうかはどうでもいいよ」を理解しないといけません。


目くじら立てている人のほうがむしろ、実話かどうかにこだわっているという。
実話かどうかを気にしたら、騙すか騙されるかの二択だけど、実話かどうかはどうでもいいよと言ってしまったら、メタに、騙しも騙されもしない境地に達するという。


だってあれですよ、「嘘を嘘と見抜けないと」と同じく古い、ネット格言として、「よかった、可哀想な女の子はいなかったんだ」というものがありましてね。
むしろ嘘のほうがこの場合、幸せ値は上がるのです。
「感動した!」→「嘘でした!」→「ああよかった! 可哀想な女の子はいなかったんだ!」。


そんなわけで、ステマとは全然違う話なんだぜ、ということ。


これはリアリティ(実話かどうかの境界線上で漂う)お話なのです。ステマはリアルのお話。