連載の方に戻りますね
こちらの続きです。
この頃、友人が紹介してくれた、御年80を超える、おじいちゃん先生の、講座を受ける事を決意。
「交流分析」という心理学と、カウンセリングを並行して教えて下さる講座でした。
この、2つを習い始めて感じたのは
単なる勉強ではなく、自分自身と向き合ったり
自分のことがあぶり出される作業があったという事。
自分を見つめる事、自分と向き合う事を
今までちゃんとしたことがなく、初めての事でした。
そして、人に、自分の内側にある本音の部分の事を話す
ということも、ほとんどした事がありませんでした。
ある時、先生が「勉強のためにもまず、自分自身もカウンセリングを受けるといいよ」
と言いました。
勉強のために無料でやって下さるとの事。
この時、すぐには予約を入れられませんでした。
自分はこうしたい、という主張が全く出来なかったんですね。
この時、、今から10年前くらいでしょうか。
まったく自分の気持ちを人に言えず
いつもニコニコして周りの人に合わせて生きていました。
2.3回目の講座の後、勇気を振り絞って、やっと私もお願いしたいです。と言えました。
カウンセリング当日
先生も、そして奥様も出てきて優しい笑顔で迎えて下さり
奥様がフルーツのいっぱい入ったステキなお茶を入れてくださいました。
こんな心のこもったものを私のためだけに出して下さった
それだけで涙が出そうでした。
誰かに、こんな風にあたたかく迎えられた事があっただろうか。
無条件に、受け入れてもらえた。
初めて、そんな感覚を感じました。
今までは「何かが出来る自分」
は受け入れてもらえる。と思っていました。
だけど、先生の前では、何が出来るわけでもない単なる生徒でした。
私のために、誰かに時間を割いてもらう事も、すごく悪い気がしていたのを覚えています。
迷惑をかけたくない、かけちゃいけない
そんな風に思っていたと思います。
なのに、今日の私はなんの役にも立たない。
時間も取らせて、迷惑をかけてる。
ましてや、先生には何の得もない、私なんかの話を聞かせられるだけ。
それなのに、それをまったく嫌な顔をせず
笑顔で私を迎え入れてくれる。
初めての体験でした。
先生と向き合って座り
初めて、自分の過去の体験を話しました。
全て優しく聞いて下さり、話が終わって帰る時も先生も奥様も、最後まで笑顔で、あたたかく、見送って下さいました。
お礼を言って、車に乗り込みました。
運転し始めたら、何かが、堰を切ったように
プチンとなって
急に涙が溢れてきました。
すると、どんどん泣けてきて、嗚咽に変わりました。
前が見えなくなり運転が不可能になって
田んぼの横に停車しました。
子供の頃以来でしょうか。
こんなに泣いたのは。
大号泣、でした。
理由ははっきりわからなかったけど
今思えば、無条件に自分を受け入れてもらえた事
そして、自分の話を聞いてもらえた事
話せた事
頑張ってない、そのままの自分でも受け入れてもらえた、という初めての経験がただ、嬉しかったのかもしれません。
今、この時の感覚を思い出すと、本当にひどい、ギリギリの状態で生きていたんだな…
って改めて思いました。
この、体験がきっかけとなり
私は少しづつ少しづつ、変わっていきます。
続きます。