無事、四十九日の法要を終えました。
悲しみから抜け出せませんが。
〈病歴の概要 ー はじまり〉
2018/春〜 ちーちゃん19才。腰を痛がる。
2018/8 大きな病院に行く。
2018/9 入院、外科手術
2018/10 大学病院へ転院。
診断名 脊髄星細胞腫
2018/11 放射線治療 ←ここの話
2018/12-2019/3 リハビリが得意な病院へ転院。
せき髄損傷リハビリ。ちーちゃん20才。
2019/4 退院
2019/4 大学復学、頭痛
2019/5 大学病院入院、
せき髄から脳へ転移
余命宣告
緩和ケア
2019/6 大学病院退院、自宅緩和ケア、
緩和ケア病院入院
2019/6-10 緩和ケア
2019/10 緩和ケア病院にて他界
2019/10以降
〈病歴の概要 ー おわり〉
2018/11下旬から放射線治療を行う事にはなったが。この先どうなるのか?!の不安は募るばかりでした。
医者は、放射線を強く当てるので約3ヶ月から6ヶ月後にその影響が出るだろうと言う。影響とは足が完全に麻痺する事なんだが、それだけなのかどうかは分からないようだ。
その時のちーちゃんは腫瘍摘出手術の為に足の動きが相当悪いのだが多少は動いていた。
放射線を強く当てると言う治療方針に決めたので、歩けなくなる事前提で今後の事を考えようと思うが、どこの誰に聞けば良いのかわからなかった。
2018/11月上旬、役所の福祉課に電話して、足が不自由になっての福祉サービスについて問い合わせを行う。結局福祉サービスとはどう言うものかよく分からず、その日、大学病院の医者との面談だったので役所の福祉課の職員に大学病院に来てもらうよう要請したら聞き入れてくれた。
介護ではないサービスを受けるならば、障害者手帳を取得しないと何も始まらないらしい。
症状が固定して何ヶ月かしたら診断して身体障害者手帳の申請をしてもらうと言う。その通りにしていたら、放射線治療が終わるのが2018年12月中旬で症状固定まで6ヶ月待つと2019年6月、そのから診断2週間として2019年7月、身体障害者手帳の申請をそこからしたら2019年9月の終わりにやっと手帳が交付される事になります。そこから障害福祉サービスを受けるとなると、半年以上9ヶ月間も何のサービスも受けらない事になり、ちーちゃんの生活はどうなっちゃうんだろうと言う不安ばかりでした。 まして、あと12ヶ月(下記参考情報参照)しか生きられないかもしれないのに、そのうち9ヶ月は何のサービスも受けられないなんて、なんとも痒い所に手が届かない行政福祉サービスと思いました。
参考情報
https://plaza.umin.ac.jp/sawamura/glioma/temozolo/
引用元 脳外科医 澤村豊のホームページより。
全生存期間中央値は,放射線治療単独群が12.1ヶ月
13 せき髄腫瘍について にも書いたように、せき髄腫瘍は珍しい病気ではあるが、がんであるので難病には指定されていません。ちなみに、難病指定された病気に罹患した場合は医療費助成があるようです。
ちーちゃんが描いたイラスト
最初からなら、こちらからご覧下さい。