私が去って…姉は3人の子、を産みました。 姪の次に長男が産まれた時…私がお手伝いとして呼ばれたのです。 ふる里を離れて初めての山陰線…懐かしい余部(アマルベ)の鉄橋、雨に濡れた城崎(キノサキ)、鼻を真っ黒にしたススだらけのトンネル。 独り汽車の中…初めての帰郷に私の想いは濡れて居ました。(あの家にはもう戻れないのだ!)と。 姉に頼まれたのは姪の子守です、…彼女は私に懐かず泣きまくり。…嫌がるのを無理やり背中に括り付け (お散歩して。)って、負んぶをしているうちに泣き疲れて眠る。と…の計算です。 とんでも無い!二時間位歩いても泣きやまなくて…戻りました。(オシッコをしようネ)と脱がせた下着!出臍が怒りで飛び出して居て吃驚!。 オバアチャンがオヘソを10円玉で押さえてテープを貼りました。 翌日祖父の所に…。祖父は目を細めて私を眺め自分が癌になった事。毎日叔母が出す食事が烏賊ばっかりで固い事…私が居なくて寂しいけれど、姉が連れて来る出臍のひ孫が寂しさを慰めてくれる事を話しました。(私の代りにこの子が祖父の心を、)と思ったら~デベソの姪が可愛くなりました。 祖父は癌と共に生きて… 94で永眠。 祖母の奥津城と並びました。