教えることは学ぶこと。学ぶことは問いつづけることとだと思います。だいたい、授業や講演とか講習会で、一番勉強するのは、それを教える人ですからね(^_^) 授業を担当させていただくことや講演・ワークの講師の話をいただくのは、そういう意味でたいへん勉強になります。
自分で勉強していて、というか、生きていて、分からなくなることがあると、分からなくなる前、自分の原点にときどき立ち戻ります。そうすることが、自分自身のことででも、いろんな活動でも、本質を見誤らないことになる。
福岡女子大では司書教諭科目を教えていますが、司書教諭科目は、教員免許を持っている(取得する)ことが前提です。ですから、教職、教員採用についてのお話をしても、学生さんは一生懸命に聞いてくれます。私の場合、思いついたような雑談ということが多いので、・・・(^_^;) あとで、その出典を確かめるということになる。先日、林竹二とその教育観について、奴隷のように寄り添うことこそ教育の基本だと、パイダゴーゴスの話をしたのですが、うまく学生さんにつたわったかどうか(^_^;)
林竹二さんご自身のことばで、よくまとまっている説明をみつけました。
++++引用開始++++
教師にとっては、もっと根本的な任務は、絶えず子どものそばについてやることではないか。絶えず子どもたちを見守っていて、必要なとき、手を差しのべてやるというのが、根本の仕事じゃないかと、私はこのごと――特に湊川や尼工に入ってから、強く感じるようになりました。
考えてみると、教育学を意味するペタゴーギックス、それから教師を意味するペタゴーグということばの語源は、ギリシャ語のパイダゴーゴスから出ているのです。子どもに付き従っていく者、付き添っていく者の意味です。古代アテネで子どもたちが学校に行く時、それぞれの家に奴隷がいましたので、どこの家でも、子どもの安全のために、学校まで付き添わせてやった。帰る時も、そのパイダゴーゴスが子どもに付き添って帰る。そして復習のお手伝いをするというような習慣があった。
だから、子どもに付き添っていて、必要な時に危険から子どもを守ってやる。道をそれそうな時に、それを止めてやる。絶えず子どもに付いていてやるというのが、実は教育の一番大事な仕事なのではないでしょうか。 (引用者中略)
教師は、絶えず子どものそばに付いて、いわば日常的な次元における子どもの面倒見のほかに、「たましいの世話」――これがプラトンでは、ほんとの「教育」(パラデイア)であるわけです――にも当たらなければならない。日常的に子どもに付き添って歩くだけでなく、たましいの世話の引き受けなければならない。まったく大変なことです。そのたましいの世話をする場が、私は授業だと思うのです。最も深いところで子どもに出会う、そういう仕事が授業ですね。
(『問いつづけて――教育とは何だろうか』林竹二・径書房・1981年・127p~129pから)
++++引用終了++++
学生さんには、ソフィストといわれた知識を授ける人ではなく、パイダゴーゴスといわれる付きそう人であることも必要だとお話しました。
いわゆる「教育」(英語ではエデュケーション、スペイン語ではエデュカシオン)の本来の意味は「引き出すこと」。「教育」と訳すより「開智」と訳そう、というのが私の持論のひとつなのですが、林竹二さんの「授業」は、その「引き出す」ということをまさにされた「授業」じゃないかと思います。「人間について」「開国について」「田中正造」。決して知識を得る授業じゃなく、引き出し、「智恵」がつく授業だった。
モンセラッ・サルトさんたちのグループの「読書へのアニマシオン」は、「読書教育」だといわれます。ここでいう「教育」は、まさに「引き出す」ことで、読む力を引き出す、読書をすることの楽しさ、進んで読書をしていこうとすることを引き出すということでではないかと私は考えます。また、アニマシオンをすすめていく役のアニマドールのあるべき姿は、パイダゴーゴスのこころをもった人だと私は理解しています。
* * *
「朝の読書」の本質は、「寄り添う教育」だと私は考えています。この「寄り添う」というのはパイダゴーゴスのありかたそのものではないでしょうか。
本を読まない子の指導というのがあります。つるりんさんが管理するミクシイ「朝の読書」コミュティで、本を読まない子にどういう本をすすめるかということがトピックのひとつになっています。
本来は「本を読まない子」とひとくくりにできないものです。読まない子は読まないなりの理由があります。ひとりひとり、そのときそのときの理由がある。ですから、薦める場合も、そのときそのときによって違う。子どもに寄り添っていればそれは見えるし、また寄り添っていないと子どももとらえられない。「本を読まない子にどういう本をすすめるか」という議論も、実はここが基盤にあってほしいと私は思うのです。
* * *
ところで、前記、引用した
『問いつづけて――教育とは何だろうか』(林竹二・径書房・1981年)
は、<NHKの女性手帳で、5回にわたって放映された「問いつづけて」の活字化>されたものです。司会は「河路勝、広瀬修子」アナとあります。
おー、河路先生! うーむ、これは、話の聴き方、インタビューのしかたの勉強という観点からも、読みなおす価値がありそう!(
^^)!
(文責:穴見嘉秀(あなみ よしひで)@九州大谷短期大学表現学科情報司書フィールド助教授 a73@nifty.com )