読書へのアニマシオン、読書プレイフェア、読書プレイアロング、読書レクリエーション、いずれも、そういう名前をつけたのは理由があることです。決して、「読書クイズ」でも、「読書ゲーム」ではありません。クイズとかゲームとすると、本やお話をつかって、他人と競い合う、競争することだと誤解する人がいるからです。
本当に、子ども(人間)の心理がわかっている人なら、競い合わせたりしないと思うんだけどなあ。本当に読書がすきなら、競い合わせたりするのかなあと思っています。
ミクシイの 「これが『アクエリアン革命』だ」のコミュで、覇道・覇権主義からの和道への転換を私は書いています。世の中は覇権争いに満ち満ちています。だから、ここがなかなか、わかってもらえない(T_T)
しかし、わかる人はわかる。昨日、購入した『読書からはじまる』(長田弘著・NHKライブラリー)で、この人はちゃんとわかっているという文章に出会いました。
+++引用開始+++
今日のインターネットまでふくめてのいわゆる情報革命とよばれる技術革新に求められているのは、先んじて新しい競争力を生みだすということです。
しかし、今からたずねられなければならないのは、果たして新しい競争力でしょうか。勝つか負けるかでなくて、いつのときも競争の結果するのは、たいていは共倒れです。
競争力というのは排除するちからのことですが、たずねられなければならないのは、排除する言葉でなく、ハグ(hug)する言葉、近づく言葉です。
あいまいさを切り捨ててゆくことによってでなく、あいまいさそのものを明るくしてゆくところに、求められる言葉の方向はあり、そうした力の方向感覚をうながすものは、競争力でなくて、感受力です。
感受力というのは、受容するちからです。他の存在によって、自分が活かされていると感じる。そうした他の存在というものをありありと感得させる。そういう言葉を手にできるかどうかで、社会の見え方、世界の見え方はまるで違ってきます。(前掲書・156p~157p)
+++引用終了+++
排除するのではない、近づきコミュニケーションする。受容する。私の考えている「読書へのアニマシオン」も、ここが基本だと思っています。答えの早さを競うのがいいわけではないのです。正解以外がダメではないのです。たとえ、よく読んできていなくても、その場で、仲間がたすけてくれる、アニマドールがうけいれてくれるというのがいい。存在も、ことばもまるごとハグしてくれるということではないかと思っています。それらをすべてふくめて「感受力」というのではないでしょうかねえ。
モンセラ・サルトさんによる「読書へのアニマシオン」による成果として、以下のようなことがあげられています。
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① 参加者とアニマドールが、互いにコミュニケーションできる。
② 知性の発達を助ける。
③ じっくり考える能力が発達する。
④ 分析する能力を育てる。
⑤ 要約をする力がつく。
⑥ めいめいの答えを刺激すると同時に、尊重する。
⑦ 集団で考えた答えを尊重する。
⑧ 物語の価値をみいだす。
⑨ 読み手が本を好きになる気持ちを引き出す。
⑩ きびきびと知力を働かせるよう、刺激する。
⑪ 自主性を高める。
⑫ ほかの人の意見を尊重する。
⑬ ほかの人の読み方を知って、自分を豊かにする。
⑭ ほかの人の優れた点も、限界も、受け入れる。
⑮ 知的な面で協力するよう、刺激する。
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ちゃんと、ここに書いているではありませんか(^_^)/
「感受力」ということばはありませんが、「感受力」にあてはまる成果が!
ところが、上の一部の効果、たとえば、「分析する能力」「要約をする力」とかにすぐ眼がいき、もっと基本の「感受力」が軽視され、アニマシオンを理解してしまいがちなのが現場の教育、教師たちです。昨今の、成果主義、評価主義で、ますます「感受力」をおきざりにされ、「競争力」に眼がむかざるをえなくなってしまう。
レクリエーションをされているかたにも、この「競争力」を基盤においているかたがいます。ちがうだろ。「競技スポーツ」と「レクリエーションスポーツ」。
(文責:穴見嘉秀(あなみ よしひで)@九州大谷短期大学表現学科情報司書フィールド助教授 a73@nifty.com )