この授業は、図解表現の基本を話したり、「ウオッチングTV]というメディアリテラシー関連のビデオをみたりしました。アイスブレーキングは皿回しです(^_^)/
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・実際に図解してみると、本当に物事を理解できているかかなりあやしかったです。一般的に対立するものとして覚えているものでも、実は対立関係にあるものではないのではないかと思いました。マザー・テレサの言葉のように「愛」←→「無関心」というほうが正しい気がします。しかし、それをテストで書くと、間違いにされてしまいます。言葉としては、反対でも、その意味としては、反対でなかったり、またはその逆だったりするものが多い気がします。
皿回しより、ステッキのマジックのほうが私の趣味にあいます。ステッキのマジックは、黒い糸よりテグスみたいな透明のほうが、わかりにくいと思いました。
「ウオッチングTV」は、アニメーションなのに、実写(本物)よりも、なまなましかった気がします。
・漠然と問いかけられるよりも、名指しで当てられたほうが答えやすく、自分も授業に参加している気がします。この授業は、学んだことが今後の生活(就職後など)にも使えるような知識を教えてもらっているという感じがします。プレゼンの方法や図解の文法など、すぐ使え、これから先も使える知識だと思います。このような実用的な授業は好きです。
・図で表すことは、簡単そうにみえるが、実際、図解をしてみようと言われてもなかなかできないものがった。今まで、当たり前のように見てきた図ばかりだったし、意味も分かっていたが、改めてこのように紹介されると最初は逆に混乱してしまった。
・力を持つと(権力でも腕力でも)、他者の上に立とうとします。それは自然界では極めて正しいことで、弱い遺伝子を残すことこそが悪なのです。最近、メディアを賑わせているいじめも同じことで、種の保存として弱者を消すエネルギーが、どこか違った作用を呈しています。いじめは何も人間界のみの問題ではありません。つまり、嗜虐は本能です。それを、うまく制御して、平和を構築させることが教育なのではないでしょうか。だから、15禁とか18禁というのがあります。それは、教育の途中にある若者が本能に流されるのを防ぐために。結局、何が言いたいかといえば、安定こそが作られるものであることを現場の教育者は意識する必要があるということです。放っておいたところで、いじめはなくなりません。あまり、人間存在を美化してとらえるものではありません。「ウオッチングTV」をみて、いろいろ考えてしまいました。
・だんだんおもしろくなってきた。情報メディアの活用というのは、司書教諭を志す私たちだけではなくて、現代社会に生きる人みんなにとって、重要な問題だと思う。もっといろんなことに触れて、できるだけたくさんのことを吸収したい。
絵本の件は少し驚いた。翻訳者が何を意図してそうなったのか、すこし興味がある。さっそく探してみようと思う。
・最初に見た銃のビデオは、途中で気持ち悪くなりました。残酷だと思いました。でも、同じビデオを見て、爽快だと思う人もいるかもしれません。何とも思わない人もいるかもしれません。それぞれの生育環境によって、受け取りかたが違ってくると思います。「常識」や「普通」といったことも、各人の育ってきた情報やメディア環境でつくられていくのかもしれません。
・5時限目なのに、こんなに楽しめる授業はほかにありません。きらいな英語から解放される数少ない授業です。これからも楽しみながら、学んでいきたいです。
・物事を受けとるとき、さまざまな考え方、見方があるので、常に疑問をもってみてみる。書物でも、比較してみると違っている場合があるので、情報を判断するときは考えてすることが必要である。人は、人と人とのつながりを求め、無関心を一番恐れるので、私もどんどん人と関わっていこうと思った。複眼的な考察をしていきたいと思う。そうすることで、人との関わり方、接し方も変わってくると考える。
・ビデオがすごく強烈だった。でも目をそらせなかった。ブレーンストーミングや作業がはいると、授業に参加している感じで、好きです。
円と矢印の使い方とか、いろいろあるんですね。
先生が見せて下ったハード類は全部私物ですか。(*ひとつを除いて全部私物です)
・SDカードなどのメディアや電子手帳、電子辞書など紹介された。私が知らないものが半分以上あったので、びっくりした。私は少し遅れているのかとショックだった。これから先、もっといろんなものが発明されるのだろうな。
○や→さえあれば、十分に表されるということを知っておどろいた。私は何かをまとめるときは、いろいろと図を複雑にしてしまうことが多いので、これからは気をつけたい。
・ものごとを図解するのと、図のパターンにあてはまるのを考えるのは、だいぶんむずかしさに差があるように思いました、図にあてはまるものごとを考えることは、流行りの脳のトレーニングになるんじゃないかと思います。けっこう、頭をつかいました。
・大学の授業は今までの勉強とは違って「自己責任」だという点だと思う。休むも聞かないもどれだけ真剣にとりくみたいか制限されていない。高校までは、生徒への責任は、教師や親にもある。
・私も教師というメディアとして伝え方に注意する必要がある。今日、暴力シーンをコミカルなアニメとして伝えているビデオを観た。このように、おもしろおかしく暴力シーンを伝えていたら、子どもが誤解して平気で暴力を受け入れてしまう。このことは、ビデオというメディアだけにあてはまることではない。教師になる私が気をつけなくてはいけない。たとえば、何も気にせず、生徒に「消えろ」とか「死ね」という言葉を発していたら、生徒にとってそのことばは許されるものだと伝わってしまう。そうしないためにも、日ごろから「伝え方」の問題点を見逃さないようにする。
・最初の「ウオッチングTV」は、かなり暴力的なもので、アニメだから暴力性がやわらいでしまっっていた。こういうメディアは、日常にあふれている。そして、次第に慣らされてしまっている。高校生の時の私なら、きっと今日のビデオで泣いてパニックを起こしていただろう。しかし、洋画や多少暴力的なアニマ、マンガを観たり、読んだりしているうちに、何も感じなくなってしまった自分がこわい。殺人事件のニュースを見ても、何も感じなくなる日が来てしまいそうでこわい。
・図解表現の技術で○と→だけで十分だというのにおどろきました。□や△などさまざまな図形を使うほうがよいのかと思っていたけど、シンプルに表現することが一番重要なのだということがわかりました。
自分で○や→をつかって、包含・隣接・交差・分離・並列・郡立関係にあるものなどを考えるのは、なかなか難しかったです。すぐ、考えつくものとそうではないものが分かれてしまいました。1週間かけて、いろいろ考えようと思います。
「ウオッチングTV」のビデオをみてから、「特打」というソフトの見方が少し変わりました。今まではタイピング練習ソフトととしか考えてなかったのですが、子どもの精神に与える影響などの点からみて、はたして適切なのだろうかと思います。
・魚のはなしで、司書と司書教諭の違いがよく分かった。やっぱり私は、司書教諭になりたいのだということも確認できた。魚のとらえ方をできるだけたくさん提示できる司書教諭になりたい。しかし、そう思ってはいるものの、図解表現(○や→での図示)をできるだけたくさん考え出すことがなかなかできなかった。毎日をボーッと過ごしているからだろう。もっと、一日一日を、活き活きして過ごしていくべきだろう。
私は、大学入学時から今までずっとフロッピーを愛用してきた。しかし、先日、ついにそのフロッピーが壊れてしまった。さいわい、たいした事故にならずに済んだが、これを機会にフロッピー以外のものを使ってみようと思う。
ビデオとても恐ろしかった。絶対に忘れられなくなった。銃が当たり前になると神経が麻痺してしまうことを意味する。メディアリテラシーでいう主体的な判断が必要だ。
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(文責:穴見嘉秀(あなみ よしひで)@九州大谷短期大学表現学科情報司書フィールド助教授 a73@nifty.com )