インターネット百科事典には有料のものと無料で読めるものとがある。
無料で読めるインターネット百科事典は大抵の場合、執筆者が匿名であり、誰でも項目(記事)を執筆し編集できる。
その代表例はWikipediaだが、ある日、筆者が『BLEACH』のキャラクターの一人である「井上織姫」のWikipedia記事を読んでいると、違和感の湧く記述を見かけた。
記事には、「(井上織姫は)黒崎一護のクラスメイト[4]。」と書かれており、脚注[4]には「中学二年生の頃からの親友」と書かれている。
この文面だと、「井上織姫は黒崎一護のクラスメイトであり、織姫と一護は中学二年生の頃から親友同士である」と読めてしまう。
しかし、これは不正確である。
「中学二年生の頃からの親友」は『BLEACH』単行本1巻収録の第3話における黒崎一護の台詞に由来するとみられる。
朽木ルキアに井上織姫のことを問われた黒崎一護は「(織姫は)近所に住んでるヤツの中2の頃からの親友なんだよ」と説明した。
この台詞は、「近所に住んでいるヤツ(一護の家の近くに住んでいる一護の知り合い)と、織姫は中2の頃から親友同士である」という意味にとるのが自然であろう。
また、第1巻の時点で一護と織姫は高校一年生であり、一護はルキアに「あの井上という女…親しいのか?」と訊かれて「別に?まあそこそこじゃねえか」と答えている。
親友がいるときに、「(その親友と)親しいのか?」と訊かれて「別に?まあそこそこじゃねえか」と答えるのは余りにも不自然である。
いずれにせよ「織姫と一護は中学二年生の頃から親友同士である」という情報は誤っている。
では、「近所に住んでいるヤツ(一護の家の近くに住んでいる一護の知り合い)」は誰のことなのだろうか。
筆者は有沢竜貴(たつき)のことだと考えている。
子供のころ、一護は有沢竜貴と同じ空手道場に通っており、二人は4歳の頃から幼馴染だった。
「通わせる」というよりも「送り迎えする」と表現すべきかもしれないが、幼児が空手を習いたいというときに、幼い自分の子供を遠方にある道場へ通わせる親は稀で、大抵の親は近所にある道場へ行かせるだろう。
普通に考えれば、一護が通っていた有沢竜貴の道場は一護の家の近所にあると判断できる。
因みに、織姫は中学に入った直後、髪を切られたり蹴られたりと中学校でいじめを受けていた。
いじめ被害に加えて、兄も亡くした織姫は苦しい中学校生活を送っていた。
そんななか一つの出来事が起こった。
同じ中学に通っていた同学年の有沢竜貴が、いじめに遭っている織姫の手を引いて織姫を怒鳴りつけたのだ。
その後、有沢竜貴は事あるごとに織姫をいじめようとする不届き者たちから織姫を守っていった。
やがて、織姫と有沢竜貴は仲良くなり、中2の頃には親友同士になっていったと読み取れる。
以上のことをまとめると、「(織姫は)近所に住んでるヤツの中2の頃からの親友なんだよ」は「(織姫は)有沢竜貴の中2の頃からの親友なんだよ」と解釈できる。
いずれにせよ、Wikipediaの「井上織姫」の記事が正確でないことは確かである。
この件に限らず、Wikipediaの記事は不正確な情報を含む場合があり、実は2012年ごろに『BLEACH』の作者である久保帯人先生も「自分の本名に関してWikipediaに間違った情報が載っている」と苦言を呈していた。
WikipediaのURLが学会や学校などにおける論文のソースとして使えないという話はあまりにも有名である。
ただ、Wikipediaに関しては見落とせないことがあると思う。
それは、「多少でたらめで間違った情報を含むにしても、7割か8割ぐらいはおおかた正しい内容の記事が多い」ということである。
Wikipediaでどれだけ記事を執筆し編集しても、Wikipediaの運営からギャラが貰える訳ではないことを踏まえると、「多くのWikipedia記事はそこそこ正しい内容である」ということが少し不思議なようにも感じられてくる。
もしも、Wikipediaなどのように無料で利用できるインターネット百科事典に関して大きな特徴を見出すならば、それは「正確性が非常に高いとは言えないが、ざっくりとした理解を求めるならば大抵の状況において便利である」ということになるのかもしれない。