「中高の時に芥川龍之介の海っていうエッセイ読んだなあ」と思い、検索してみると、様々なサイトが見つかった。

そのなかには広岡威吹という方のブログもあった。

 

 

※本文はこちら → 芥川龍之介 少年 (aozora.gr.jp)

 

 

その方のブログだと「浦島太郎の絵を破り捨てたのは母親」ということになっている。

 

だが、私はそうではないと思う。

 

本文には<母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。>とあり、<保吉はそうそう母のところへ彼の作品を見せに行った。>という文章が「海」(「少年」の第四章)にもあることから、「浦島太郎の絵を破り捨てたのは母親ではなく保吉本人」と私は読んだ。
 

主語などを補うなら、例の箇所は<母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩らした。が、(彼が)どんなに説明しても、――いや、(彼が)癇癪を起して彼(自身)の「浦島太郎」を引き裂いた後さえ、(母は)この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。>といった文章になると思われる。

 

 

因みに、「海」の冒頭に<保吉の海を知ったのは五歳か六歳の頃である。>とあることが示しているように、戦前の文章では助詞「が」の代わりに助詞「の」を用いている場合がある。私の記憶では、高校のときに読んだ森鴎外の『舞姫』も確かそうなっていた。現代語なら<保吉が海を知ったのは五歳か六歳の頃である。>と書く方が標準的であろう。