◎万里の長城

 

聳え立つ長城。北方騎馬民族から漢民族を守った文字通りの城壁、という印象はあるのですが、一方で、世界の「三大無用長物」の一つとあざけられてもいるのでした。

ちなみに、「三大無用長物(むようちょうぶつ)」とは

順不同ですが

1.戦艦大和:46センチ主砲で、40キロ先の敵戦艦を撃沈できた。でも、大和が進水した時は、すでに400キロ先から飛んでくる雷撃機や爆撃機の時代になっており。

大和特攻で知られた「坊ノ岬沖海戦」では、377機の米艦載機に襲われ、大和以下6隻の艦船が爆弾や魚雷によってあえなく撃沈。艦載機は13機が喪失したのみで、はるか遠くにいた米空母部隊は全く無傷でした。

インディジョーンズでも似たようなシーンがありました

https://www.youtube.com/watch?v=kQKrmDLvijo

 

 

2.エジプトのピラミッド:場所を取るだけで役に立たない、という意味では正しいと言えなくもないですが、古代の天文台、農閑期の雇用対策などなど、考古学上では、十分役に立ったんじゃね?という解釈もあり。現代でも重要な観光資源ですから、「無用の長物」はいいがかかとおもいます。。。

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3.万里の長城:本稿のお題なので、もうちょっと詳しく書いてみます。

そもそも万里の長城が出現したのは秦の時代とされていますが、万里ではない長城は、魏だの斉だのと言った春秋・戦国からあり。この目的も、北方騎馬民族だけでなく、戦国の各国が互いに侵略を防止するため、というのもあった。

始皇帝によって中国が統一されてから、長城は万里に伸び、その目的も北方騎馬民族への備えが主となっていったらしい。

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ただ、長城があれば騎馬民族は防げたというとそうではなく。ジンギスカンとか、その後のフビライなどモンゴル軍は何度も長城を越えて縦横無尽に中国を荒らしまわっています。

中国側も、漢の武帝など、積極的に長城以北に進出しており、唐代に至っては、中国の領土は長城を遠く北に越えており、要すれば長城なんてなくても騎馬民族の侵入は防げていた。

というわけで、隋のように、国家滅亡の遠因となったすさまじい建設コスト(資金、資材、人命)をかけた割には、騎馬民族の軍勢をやっつけるという意味ではたよりないなあ、というのが実際のところであったと理解します。

では、中国人は、なぜ「月からも見える」ほどの巨大・長大な建造物を作ったのか。

上でも書いたように、隋そして秦などの王朝を滅亡に追い込むかも?というほどの巨大な負担を強いてまで長城が建設されたのには、単に騎馬軍団を防ぐ、というのよりもっと重要・深刻な理由が、実はあったのです。

なぜ長城は建設されたのか?「真相はこうだ」

長城が建設された真の理由は

「ヒツジが農耕民族の居住地に迷い込むのを防ぐため」

だったのです。

なんだそりゃ?

要するに、騎馬民族というのは、ノマドです。

ヒツジの動きにつれて東西南北とどこまでも移動していきます。

言い換えれば、ヒツジの行かないところには、騎馬民族も出現しないのである。

1218年頃、今で言えばイランだのイラクだのがある中央アジア・中東で栄えたホラズム朝に、モンゴル軍が押し寄せた時の状況が今日まで言い伝えられていますが、いわく

「彼らは来た、壊した、焼いた、殺した、奪った、去った」

つまり、占領地をあっというまに破壊しつくし、焦土にしてしまったのちは、これもまたあっという間にいなくなってしまった。

要すれば、ホラズムの焦土には、ヒツジを飼うだけの草原がなかった(あるいは破壊しつくして消してしまった)ので、ヒツジの飼えるモンゴル草原へ、何の未練もなく帰って行った、ということらしい。(軍事的、政治的な支配はまた別の話です)

ようするに、かわいそうですがひとところにとどまっていることができない民族だったのです。

絶えず@移動中の生活。問題はどこに移動するかですが、それも意外に単純で、要するに、上でも書いたように「ヒツジの行くところ、行けるところならどこでも行きます」ということだった。

農牧民族側でもこれに気づき。

農耕民族の畑や市邑なのある地域からなるべく遠くに、ヒツジか越えられない程度の柵を作っておけば、よっぽどのことがなければ騎馬民族はこの柵を越えて侵入しては来ない。

よっぽどの場合、というのは、冒頓単于だのジンギスカンだのが現れ、騎馬民族を統一して強大な勢力を構成する場合ですが、実は悠久の中国の歴史の中で、そういった場面、時代は短く。

というわけで、北京だのなんだのの要衝の近くでは、目を見張る軍事建築になっていますが、じつは長城の多くの部分は、ヒツジが越えられなければいいや、くらいの幅や高さしかなかったりするらしい。実際は、牧童がやすやすと乗り越えないように、もうちょっと高さが必要だったらしいですが。

あと、もう一つ重要な長城の役割として「交易の拠点」というのがあったそうです。

日本でも、いろいろな場所で「蚤の市」が開催されていますが、中国内陸の、なにもない高原で、長城の要所要所が重要な市場・拠点となったらしい。

泣く子も黙るドイツの蚤の市。かわゆい陶器の陰に、シュタールヘルムとかもまぎれているらしい。

https://taptrip.jp/img/155763/

 

 

要すれば、長城というのは、大砲をどんどん撃ち合ったり、ぎゃわわーとチャンバラをやる場所ではなく(というかそういう事もやったが)、本来は、買いものカゴをぶら下げた農耕民族のおばちゃんと騎馬民族のおばちゃんが、長城の北から南からヒツジの毛皮だのらっきょだのを交換していた、そういう場所だったということなのですねーであれば高すぎちゃこまります、やっぱりちょっと梯子を立てかければのり越えられるくらいじゃないとやっていけないですよねえ。

「長城の高さはヒツジが越えられないくらいあればよかった」というのは、吉岡力という有名な世界史の先生が「歴史パズル」という本に書いていたものと理解します。べつにぼくが発明したというものではないので、念のため。あれ、パクリか?

ちなみに、長城の実際の高さは、秦時代のものが2メートル。平均で6~9メートルだそうです。

秦代の長城 https://love-knowledge.com/6856/

 

 

◎Quoraからの質問応答

質問サイトQuoraに、いかにも日本人の好きそうな質問があり。回答してみました。

質問:「親日派」の有名人や公人は誰ですか?

回答:トランプ大統領。

日本を訪問した際、よりによって肥満そのもののむくつけき男たちが、裸で抱き合ってダンスし、汗をそこら中に巻き散らかすという恐ろしいショーにつき合わされ。あげくの果てに、一番ダンスのうまかった優勝者のデブ男にトロフィーを渡すという絶望的な苦行を強いられてしまいました。

トランプさんの偉大なところは、こうしたショーにおいて、デブ男たちに交じった一番のデブ男だという事を世界中にさらすことになっても、にこやかにこの儀式を最後まで耐えきったことで、日本のことを心から好きでないとできないことだと思います。

相撲取りも圧倒するデブ野郎。

トランプ氏、表彰状読み「レイワ・ワン」 特注杯を贈呈:朝日新聞デジタル

 

 

日本人から見れば、日本の美しい伝統芸能のイベントに招待した、というおもてなしなのでしょうが、それをアメリカ人がどうとるかは、また別と思います。

日本人とアメリカ人がどのように違ったアプローチをするか、そしてアメリカに学べるところはどこか、について、以下に記載してみましたので、興味あらば、ご一読を。

零戦に見る仕事のスマート化必勝法① - アーリーリタイア

零戦に見る仕事のスマート化必勝法② - アーリーリタイア

 

ではでは。。。

 

*このブログは、ワールドプレスHP「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のAmebloスピンオフです。以下、主要な項目のリンクに飛びます

◎精神世界:自己客観視の獲得からさらなる進化へ

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