PTA 活動への不公平感  | 私、娘、ときどき夫、日常のあゆみ

私、娘、ときどき夫、日常のあゆみ

(2024.3.11記載)

8才(新3年生)の娘と43歳の私、年下夫の3人家族です。娘の中学受験準備を思案中。

<興味がある事>
⚫️教育、習い事
⚫️食物アレルギー、小児喘息
⚫️趣味(カメラ、登山、ゴルフ、美容)

日々の生活が素敵なものになりますように、、

昨朝の体重は500gの増加。

一昨日の夕食を天ぷら(外食)にしたので多少の増加は想定内。


それでも想定していたより少なく済みました。


天ぷらは少しにしたのと(娘に食べてもらって)、白米も少量のお粥にしたのが良かったかな。

あと、早めの夕食だったのも。


とはいえ、食べたいものは食べます😄

そうでないと恒久的な取り組みにはなれません。




昨日は朝からPTAの打合せ。


PTA関係で小学校に出向くのは久しぶりです。

ずっと本部メンバーではスマホでのやり取りが続いておりましたから。


そして、この日はとても負担の大きい係に当たっている方々の打合せに同席させて頂きました。


クジで当たった方々なのに、小学校へ集まる機会が多い。

作業も多い。


本当に厄介な係です。


それでも前向きに取り組まれる方々で年度末に向けて終わりが見えてきました。



私は長らく見学をさせて頂く中で、大変な様子を見てきました。


ずっと前向きに頑張ってこられた方々。

ここにきて、同じくクジで当たったものの殆ど参加されない方へ不満が噴出…


特に医療従事者の方で、「仕事の関係で人が集まるところへは行けません。オンラインなら参加します。」と仕事が休みでも一切参加されない方に不満が集中。

オンラインでは活動が難しい作業が多く、その方が出来そうな仕事を作る作業が発生しています。


お子さんはもちろん小学校へ登校しておりますし、放課後も友人同士で遊びに興じている様子、イベントへの参加等あり、上記のような理由は納得できないと。

 


とてもわかります。



来ない人を無理やり引っ張って来るわけにはいきませんからね。

どうしても不公平感は出てしまいます。


やってくれる人の好意、頑張る人の犠牲の上に成り立つ活動はおかしいです。



この日の日経新聞ではPTAを継続する事への限界について書かれた記事がありました。

PTAができた頃とは家庭の状況が違い過ぎるのです。




作業を進める中、活動について少し感情的なお話を伺う事ができました。


私は、この方々の頑張っている姿を何ヶ月も見ています。

ずっと手探りで模索しながら必死に突っ走って来られた様子も。



だからこそ、次年度からの業務縮小についてどう思うのか気になっておりました。

業務縮小については、まだ公にできる段階ではないので私から話せないのですが、皆さん何となくご存知でした💦


自分たちは一生懸命取り組んだのに、次の人たちから廃止になる事を賛同できるのか。



この日、伺ったのは"大変だからこそ少しでも省けたら良い"とのお話でした。


本当に良い方々です。



今まで頑張られた方々に私は少しでも報いる事が出来るだろうか…


踏ん張りどころです。 

いや、踏ん張らなくて良いのか…