2026年7月4日FB投稿記事より

 

皆様如何おすごしでしょうか?

今日からぐずついた日が続きそうですが、お元気でお過ごし下さい。

本日は「ドラマで読む法華経」第七回譬喩品第三 その二をお話し致します。

火宅*②を出よ! ~法華七喩その一「三車火宅の譬え」~

お経には・・・

「三界は安きこと無し、猶火宅の如し、衆苦充満して甚だ怖畏すべし。」

訳(私たちの住む世界は、火のついた家と同じように少しも安楽な所はない。いろいろな苦しみがその中に満ちていて、はなはだ恐ろしい所である。)とあります。

お釈迦様は、困惑する弟子たちの顔を慈悲深く見つめ、語り始めました。

「あるところうに、立派なお家がありました」

「ある日その家が、黒煙を上げて燃えています。火事です!」

「火宅の窓に目をやると、中には夢中で遊ぶ子供たち。外から叫ぶのはお父さん」「どうやら、火の恐ろしさ説いているのですが、幼い子らにはわかりません」「そこでお父さん*②が考えたのは、子供ら*③が好きな玩具で誘い出す作戦です」

「それぞれ好きな羊車、鹿車、牛車の三つの車をあげようと約束します」「火宅から競い出る子供たち。安堵する父は、約束の玩具を与えませんでした」「用意したのは、もっと素敵でカッコイイ本物の車です。沢山の人を乗せることできる立派な白い牛の車、大白牛車をみんなに一台ずつ与えたのでした」

「法華経」には七つの譬え話が説かれています。

昔から「法華七喩」と呼ばれ親しまれてきました。

この話は、その一番目「三車火宅の譬え」というお話しです。

智慧に優れた舎利弗さんには理解できても、他のお弟子たちにはよくわからなかった「方便品」の内容を、お釈迦様はやさしく譬え話にして説いて下さったのです。

「羊車」を欲しがる子供とは「声聞」という生き方を求める人。

「鹿車」を欲しがる子供とは「縁覚」という生き方を求める人。

「牛車」を欲しがる子供とは「菩薩」という生き方を求める人。

そして、この子供らを火宅から救い出したお父さんとお釈迦様です。

この話の大事な点は、何よりもまず「煩悩の家宅から出よ!」ということ。

仏教徒の目下の目標は、煩悩をいかに克服しコントロールするかにあります。その手段として、お釈迦様は先の三通りの生き方を説かれたのです。それが、法華経以前に説かれた「方便の教え」です。

「法華経」は、まだその先に私たちが本当に目指すべき生き方があることを明かしました。それは「仏の子として自覚して生きる」とうい生き方です。

まさにそれがこの物語の最後を飾る「大白牛車]の意味するところでした。ならば私たちは、どうでしょう。

きっと多くは、お釈迦様の思いと裏腹に、燃え盛る煩悩の火宅の中で未だに遊びに夢中かもしれません。死の火炎は、刻一刻と迫っています。

父は言います。「ただ我一人のみ、よく救護をなす!」火宅から出る門はただ一つ。

父であるお釈迦様の言葉を信じることです。

*①火宅(かたく)とは燃え盛る家のことで、煩悩や苦しみに満ちたこの世を譬えています。

*②父親(長者)とは子供たちを助けだそうとする仏(お釈迦様)の譬えです。

*③子供たちとは迷いの中にいる私たち衆生の譬えです。

(参考資料)

羊車・声聞(しょうもん)とは仏の教えを聞いて悟りは目指す出家弟子の事。

鹿車・縁覚(えんがく)とは仏の教えを直接受けることなく、自ら因縁を悟り、涅槃の境地に達した聖者のこと。

牛車・菩薩(ぼさつ)とは悟りをも求め修行し、同時に衆生を救済しようとする慈悲深い存在です。

大白牛車(だいびゃくごしゃ)とは、全ての衆生を成仏に導く「一乗」の教えであり、法華経を信仰する人を運ぶ究極の乗り物を譬喩した言葉です。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

ご縁に感謝 合掌🙏