2022年2月1日FB投稿記事より

 

令和四年もはや二月となりましたね!皆様いかがお過ごしでしょうか?

二月は別名如月(きさらぎ)と言い、由来としては、まだまだ寒さが厳しい時期ために、更に衣を重ね着するという意味から「衣更着(きさらぎ)」になったという説が最も有力とされています。

他にも令月(れいげつ)/何をするにもいい月の意味があり、新年号令和の由来にもなりました。

梅見月(うめみつき)、恵風(けいふう)等の呼び方もあります。

如月の俳句を一句

きさらぎや 人の心の あらたまり  

吉分大魯(よしわけ たいろ)作

さて今月の「御朱印・法華経二十八品の心」は法華経【見宝塔品第十一】をご紹介いたします。

法師品が説かれ、人々が如来の使いとして、法華経の教えを弘めようと心の中で決心した時に、目の前に高さも幅も無限の長さを持った七宝で飾られた塔が忽然(こつぜん)として地中から涌出(ゆじゅつ)し空中にとどまり。その塔はたくさんの宝石や花で飾られ、まわりには天、龍、夜叉(やしゃ)など、ありとあらゆる生きものが集まってこの塔を供養し、尊敬し、褒め称えておりました。

 そのとき宝塔の中から「よきかな、よきかな、釈迦牟尼世尊よ。よく平等大慧(びょうどうだいえ)・教菩薩法(きょうぼさっぽう)・仏所護念(ぶっしょごねん)の妙法華経をもって大衆のためにお説きになりました。そのとおりです。釈迦牟尼世尊のお説きになられたものは皆真実です。」という大音声が発せられたのです。

見宝塔品の大意

これより二処三会(にしょさんね)*①の虚空会説法(こくうえせっぽう)となる。過去に入滅(にゅうめつ)された多宝如来(たほうにょらい)が法華経の教えの正しきことを証明するために多宝塔(たほうとう)と共に地中より出現し空中へと浮かび、この時、娑婆世界(しゃばせかい)が三変土田(さんぺんどでん)し、すべて清浄に清められた。そしてすべて一仏国土(いちぶつこくど)となりました。かくして十方の諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)、その他すべてが霊鷲山(りょうじゅせん)へ来集(らいしゅう)してきたのです。お釈迦様はその宝塔を開き、その中に住し、十方世界のすべてのもの、霊鷲山に集まった弟子たちも虚空へのぼり、今までにない一大光景が展開されたのです。かくしてお釈迦様は大音声(だいおんじょう)をもって法華経の付属(ふぞく)を請われるのです。

*① 二処三会(にしょさんね)・・・

法華経が説かれた二つの場所と三つの法会(説法のための集会)の事、二処とは「霊鷲山」・「虚空」(何もない空間、空中・大空を言います。)を指し、三会とは「前霊鷲山会」・「虚空会」・「後霊鷲山会」を指します。

二仏並坐(にぶつびょうざ)について・・・

お釈迦様が右の指で宝塔の戸を開くと、その中には多宝如来が禅定のお姿で座られており、半座を分けてお釈迦様にすすめられた。するとお釈迦様は即時に宝塔の中に入り、その座に坐り結跏趺坐(けっかふざ)したのです。その時、まわりにいた大ぜいの人々は、二人の如来が宝塔の中に結跏趺坐しているのを見て、自分たちも神通力によって虚空に行かせて下さいとお願いしました。この大衆の望みを聞いた仏は、即時に神通力を用いて、大勢の人々をみな虚空にひっぱりあげたのです。

 教えを説く仏と、その教えが真実であることを証明する仏の二仏が並んで座るという事は、今説かれる法華経が絶対の真理であるという事をあらわしているのです。

六難九易(ろくなんくい)について・・・

仏の入滅後に法華経を弘めることは大変な困難を伴います。そのことを示すために宝塔品の最後の偈文には六難*②九易*③が説かれています。

 *②六難(六つの困難なこと)とは

① 説経難(せっきょうなん) 法華経を説くことは難しい。

② 書持難(しょじなん)   法華経を書いたり、法華経の信仰を持つことは難しい。

③ 暫読難(ざんどくなん)  法華経を少しでも本当に読むことは難しい。

④ 説法難(せっぽうなん)  法華経の精神を説くことは難しい。

⑤ 聴受難(ちょうじゅなん) 法華経を聴いて大事なところをしっかり受けて信じることは難しい。

⑥ 奉持経難(ぶじきょうなん) 法華経をたもち続けて後生に伝えることは難しい。

*③九易(九つのたやすいこと)とは

① 法華経以外の膨大な経典を説くといえども、大したことではない。

② 須弥山(しゅみせん)という山を手に取って、遠くの世界に投げおくとしても大したことではない。

③ 足の指で世界を動かして、遠く他国に移すとしても大したことではない。

④ 天上界のてっぺんに立って衆生のために法華経以外の無量の経典を演説するとも大したことではない。

⑤ 誰かが手に虚空をとって世界を巡るとしても、大したことではない。

⑥ 大地を足のつめの上に置いて、梵天まで昇るとしても大したことではない。

⑦ 大火の中に乾いた草を背負って入って、火傷ひとつしないとしても、大したことではない。

⑧ 八万法蔵をたもち人々に演説して、彼らに六神通を得せしめたとしても大したことではない。

⑨ 法を説いて、無量の衆生を阿羅漢の境地に導いたとしても大したことではない。

九易とは実際は大変困難なことであるが、法華経を弘める困難に比べればたやすいことであるというふうに説かれています。

今月の教えは・・・

        一 切 天 人

        皆 応 供 養

    (一切の天人 皆供羪すべし)

法華経を信仰し南無妙法蓮華経とお題目をお唱えうることは、

とても難しい事だと仏さまは説かれています。

しかしそれに負けずに信仰する人は、全ての仏さまが褒められ、

全ての天人天女があなたを供養すると誓われています。

皆様に素敵なことが在りますように♪

 妙法蓮華経見宝塔品第十一 抜粋

爾時仏前。有七宝塔。高五百由旬。縦広二百五十由旬。従地涌出。住在空中。種種宝物。而荘校之。五千欄楯。龕室千万。無数幢幡。以為厳飾。垂宝瓔珞。宝鈴万億。而懸其上。四面皆出。多摩羅跋栴檀之香。充・世界。其諸幡蓋。以金銀。瑠璃。。碼碯。真珠。瑰。七宝合成。高至四天王宮。

(訳)爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して空中に住在す。種種の宝物をもって之を荘校せり。五千の欄楯あって龕室千万なり。無数の幢幡以て厳飾となし、宝の瓔珞を垂れ宝鈴万億にして其の上に懸けたり。四面に皆多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充遍せり。其の諸の幡蓋は金・銀・瑠璃・・・・碼碯・真珠・・瑰の七宝を以て合成し、高く四天王宮に至る。

三十三天。雨天曼陀羅華。供養宝塔。余諸天龍夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩羅伽。人非人等。千万億衆。以一切華香。瓔珞。幡蓋。妓楽。供養宝塔。恭敬尊重讃歎。

(訳)三十三天は天の曼陀羅華を雨して宝塔に供養し、余の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽・人非人等の千万億衆は、一切の華・香・瓔珞・幡蓋・妓楽を以て宝塔に供養して、恭敬・尊重・讃歎したてまつる。

爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実。

(訳)爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく

 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。

即時一切衆会。皆見多宝如来。於宝塔中。坐師子座。全身不散。如入禅定。又聞其言。善哉善哉。釈迦牟尼仏。快説是法華経。我為聴是経故。而来至此。爾時四衆等。見過去無量。百千万億劫。滅度仏。説如是言。歎未曾有。以天宝華聚。散多宝仏。及釈迦牟尼仏上。

(訳)即時に一切の衆会、皆多宝如来の宝塔の中に於て師子座に坐したまい、全身散ぜざること禅定に入るが如くなるを見、又其の、善哉善哉釈迦牟尼仏、快く是の法華経を説きたもう、我是の経を聴かんが為の故に而も此に来至せりと言うを聞く。

 爾の時に四衆等、過去の無量百千万億劫に滅度したまいし仏の、是の如き言を説きたもうを見て、未曾有なりと歎じ、天の宝華聚を以て多宝仏及び釈迦牟尼仏の上に散ず。

爾時多宝仏。於宝塔中。分半座与。釈迦牟尼仏。而作是言。

釈迦牟尼仏。可就此座。即時釈迦牟尼仏。入其塔中。坐其半座。

結跏趺坐。

(訳)爾の時に多宝仏、宝塔に中に於て、半座を分ち釈迦牟尼仏に与えて、是の言をなしたまわく、釈迦牟尼仏此の座に就きたもうべし。即時に釈迦牟尼仏其の塔中に入り、其の半座に坐して結跏趺坐したもう。

 聖主世尊 雖久滅度 在宝塔中 尚為法来

 諸人云何 不勤為法 此仏滅度 無央数劫

 処処聴法 以難遇故 彼仏本願 我滅度後

 在在所往 常為聴法

(訳)聖主世尊 久しく滅度したもうと雖も

  宝塔の中に在して 尚お法の為に来りたまえり

  諸人云何ぞ 勤めて法の為にせざらん

  此の仏滅度したまいて 無央数劫なり

  処処に法を聴きたもうことは 遇い難きを以ての故なり

  彼の仏の本願は 我滅度の後

  在在所往に 常に法を聴かんが為にせん

 告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経

 今於仏前 自説誓言 其多宝仏 雖久滅度

 以大誓願 而師子吼 多宝如来 及与我身

 所集化仏 当知此意 諸仏子等 誰能護法

 当発大願 令得久住 其有能護 此経法者

 則為供養 我及多宝 此多宝仏 処於宝塔

 常遊十方 為是経故 亦復供養 諸来化仏

 荘厳光飾 諸世界者 若説此経 則為見我

 多宝如来 及諸化仏

(訳)諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に

  誰か能く 斯の経を護持し読誦せん

  今仏前に於て 自ら誓言を説け

  其れ多宝仏 久しく滅度したもうと雖も

  大誓願を以て 師子吼したもう

  多宝如来 及与我が身

  集むる所の化仏 当に此の意を知るべし

  諸の仏子等 誰か能く法を護らん

  当に大願を発して 久しく住することを得せしむべし

  其れ能く 此の経法を護ることあらん者は

  則ち為れ 我及び多宝を供養するなり

  此の多宝仏 宝塔に処して

  常に十方に遊びたもう 是の経の為の故なり

  亦復 諸の来りたまえる化仏の

  諸の世界を 荘厳し光飾したもう者を供養するなり

  若し此の経を説かば 則ち為れ我

  多宝如来 及び諸の化仏を見たてまつるなり

 諸余経典 数如恒沙

 雖説此等 未足為難 若接須弥 擲置他方

 無数仏土 亦未為難 若以足指 動大千界

 遠擲他国 亦未為難 若立有頂 為演説衆

 無量余経 亦未為難 若仏滅後 於悪世中

 能説此経 是則為難

 (訳)諸余の経典 数恒沙の如し

  此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず

  若し須弥を接って 他方の

  無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず

  若し足の指を以て 大千界を動かし

  遠く他国に擲げんも 亦未だ難しとせず

  若し有頂に立って 衆の為に

  無量の余経を演説せんも 亦未だ難しとせず

  若し仏の滅後に 悪世の中に於て

  能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす

 若人説法 令千万億

 無量無数 恒沙衆生 得阿羅漢 具六神通

 雖有是益 亦未為難 於我滅後 若能奉持

 如斯経典 是則為難

 (訳)若し人法を説いて 千万億

  無量無数 恒沙の衆生をして

  阿羅漢を得 六神通を具せしめん

  是の益ありと雖も 亦未だ難しとせず

  我が滅後に於て 若し能く

  斯の如き経典を奉持せん 是れ則ち難しとす

 我為仏道 於無量土

 従始至今 広説諸経 而於其中 此経第一

 若有能持 則持仏身

(訳)我仏道を為て 無量の土に於て

  始より今に至るまで 広く諸経を説く

  而も其の中に於て 此の経第一なり

  若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり

 諸善男子 於我滅後

 誰能受持 読誦此経 今於仏前 自説誓言

 此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然

 如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進

 是名持戒 行頭陀者 即為疾得 無上仏道

 能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地

 仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

 於恐畏世 能須臾説 【一切天人 皆応供養】

(訳)諸の善男子 我が滅後に於て

  誰か能く 此の経を受持し読誦せん

  今仏前に於て 自ら誓言を説け

  此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は

  我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり

  是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり

  是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり

  是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く

  則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり

  能く来世に於て 此の経を読み持たんは

  是れ真の仏子 淳善の地に住するなり

  仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは

  是れ諸の天人 世間の眼なり

  恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは

  【一切の天人 皆供養すべし】

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経

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